年をとると、大したことでは驚かなくなるとか、影響を受けづらくなるとか、それはたしかに事実だと思うが、別にそうじゃなければいけないとかそうあるべきという訳でもなく、驚いたり影響を受けたりするのはいつでも楽しいことである。


本を読んでいて、書かれていることが、たぶんおそらく書き手の身体と意識を経由されて、文章としての固有の抑揚や強弱やリズムを伴って、読んでいる自分に伝わってくる。僕はたとえばある本をとりわけ好きになったとき、それをなるべく忘れたくないから、読了後もその書かれた内容、そこで考えられたまとまりの印象、その固有の抑揚や強弱やリズムの感じ、それらをいつまでも心の中に思い浮かべようとするだろう。それはつまり、その本の影響を受けてしまっている状態と言える。


僕にとって、読んだ本が面白かったときは、自分を少なくともある一定期間は、その本に描かれた内容のような存在でありたいと考えて、それに擬態しているような状態になっているように思う。それでも結局は、いつかはそのことを忘れて、いつもの自分自身に戻ってくるが、わかっていても何度もそれを繰り返している。


僕は、幼少時から今まで、そんなに大量の読書体験を重ねてきたわけではないので(読んでいる人は信じられないくらいたくさん読んでいるもので)、この歳になっても正直まだ本を読むという体験に新鮮さを感じる部分が残っているし、面倒くさいと思う気持ちもかなりあるし、これは今まで知らなかった面白さだ、と感じることも少なくない。そして今後も、未知のよろこびがまだまだ豊富に残されているはずで、それらをこれからも発見する可能性がある。そういうことを最近しばしば感じる。