Isolation

先週の土曜だか日曜だったか、NHKだかスペースシャワーTVだかで、やたらと忌野清志郎の特集がやっていて、ああ、そういえばもう十周忌なのかと思ったのだが、そういう特集でオンエアされるのは何故なのかわからないけど、たいていRCサクセションではなくて90年代以降のソロ曲ばかりで、僕の場合は個人的にRC時代の馴染みが深いのもあるけど、90年代以降の忌野ソロ曲で良いと思えるものは冷静に聴いても実に少なくて、例外的に「水の泡」とか「世間知らず」とか、限られた数曲だけ「これは大丈夫」という感じがある。忌野清志郎の曲だとリリース年月と曲の制作年がぜんぜんずれてるというか70年代の曲を平気で00年代にリリースしたりもするので油断ならないのだが、というか言いたいのは昔の方が良いとか90年以降の曲が良くないとかそういう話では全然なくて、時代を問わず良い曲はすごく良い曲なので、でも良い曲なら安心して聴けるとか、そういうことでもなくて、むしろ安定を許さない凄みを有するのがたとえば前述の二曲だよね、ということなのだが。

で、話は変わるが一昨日、映画館で「イメージの本」を観たときに予告編でガス・ヴァン・サントの新作が紹介されていて、そのとき挿入曲として、ジョン・レノンの"Isolation"がいきなりガーンと流れて、けっこうデカい音ではっきりと館内に"Isolation"が鳴り響いて、それで思いがけず「打たれて」しまったのだった。ああ、やばい…これはやばい音楽だ…と、おろおろ狼狽の体だった。

ジョン・レノンビートルズ時代の"Yer Blues"、あるいは"Come Together"でもいいけど、どれもブルース解釈というか、ブルースマナーで歌う際の、ジョン・レノンのある種の達成という感じを受けるのだが、ソロ第一弾「ジョンの魂」における"Isolation"をはじめとする各曲は、これらはジョンレノンのソウル解釈、それもジャンルとしてのソウルではなくて、もっと切迫した、身を切るような、気持ち全開の、これが成り立たなければ死ぬしかないほどに思い詰めた果ての成果としての、ソウル・ミュージックで、その類を見ない達成なのではないかと。

それで久々に「ジョンの魂」を聴いてみようと思って、まずCD棚から「ジョンの魂」のCDを探し出すのが死ぬほど大変だったのだが、こういうときに連休というのは素晴らしくて、ほぼ無益に思えるような大掛かりな捜索を許容できるほどの時間的な猶予があるということで、世間の人々もきっとこの期間を利用して家に埋もれている何かを必死に掘り起こして無益な時間を浪費しているのだろうと想像されるのだが、それはともかく久々に聴いた「ジョンの魂」は奇しくも昨今流行りのミニマルなR&B的雰囲気を彷彿させるきわめて単調・単純なリズム反復だけでおおむね構成されたまさに「魂の」音楽という感じで、皮肉ではなくてこの開き直った単調さの迫力は、たしかにすごい。なぜこんなサウンドになったのだろうか。今の俺の気分が、こんな感じ、、ということだったのだろうか。ジョンレノンという人はどこまでも内省的になるくせに、どこまでも他人から見た感じを異様な敏感さで感じ続けている人なので、「ジョンの魂」はそのバランスのもっともテンションギリギリな瞬間をとらえ得ているとは言えるのだろうし、ロックが作家個人的告白の手段として超有効になりうることを良くも悪くも示してしまったとも言えるのだろう。

webで調べたところによれば当時のジョンレノンは「原初療法」診療直後だそうで、過去のとらわれからの開放…という物語をそれなりにガチで思い込んでいる状態とも言えて、肉親とか出自的なドロドロしたものを含め、如何にも突き放しえた解放感というか、言い切って捨てていく踏ん切りというか、内向的に引きこもりながらも、どこまでも力強くある種の確信を掴んだたしかな感触があって、そうなのか、この異様な自己肯定感の手触りこそが、70年代以降の(私小説的)ロックの基底音なのか…という感じだ。この精神分析的な沈降と回復を経て、最終的に幸福な結末に至る物語の流れを演じるジョンレノン的なテイストというのは、ロック・ミュージックの歴史において無視できないもので、雑駁いえば論理的にはつながらない、納得し辛い、容易に肯定し難い、そのようなややききわけのない子供じみた態度だが、それとは微妙かつ絶対的に違うある批判的態度というスタイルとしてこの後も引き継がれていく。

で、なにしろ日本という場においてその場所、ジョンレノン的境地と言っても良いような場所に到達することができた人として、忌野清志郎をここに思い出しても良いのではないかと思った。というかロックの人はどうしてもそのように思い込まれてしまう、その不可避性を感じていただろうし、そのように思われることをきちんと逆手にとっていたのだろうと。

はじめてジョン・レノンを聴いたのは、1986年にリリースされた「Live in New York City」で、15歳の僕はCome Together以外のほぼすべての曲をこのライブ盤で知った。「ジョンの魂」も僕にとって半分くらいは「Live in New York City」のテイストが染みてしまっている感じだ。その後おそらく1988年だと思うが、CDプレイヤーが実家にはじめて購入されて、しかし家にCDは一枚もなくて、とにかくCDトレイに乗せて再生するための何かを買ってこようと思って、駅前のレコード屋でぱっと目についたジョン・レノン「イマジン」を買ったのだった。たぶん1988年だ。その「イマジン」のCDは今も手元にあって、30年以上経った現在も何ら遜色なく再生可能だが、それはともかくそのような経緯なので自分にとってジョン・レノン「イマジン」は生まれてはじめてCDで聞いたサウンドなので、いまだに各音の存在感と粒立ちのくっきり揃ったデジタル的ハイクオリティな音質という感触を、聴くたびに強く感じるものだったりする。