週末食事

我が家のルールとして、金曜日の夜は、夫婦各自で夕食を調達することになっているので、帰宅時の最寄り駅に着くと、僕は駅前のスーパーに寄るのだが、いつものことながら金曜夜のスーパーマーケットの食品売り場というのは、控えめな表現を選んでも壊滅的な状態であると言っていい。もしかして災害発生直後ですかと、問いただしたいようなことになっている。これから土日の仕入れと棚作りをはじめるのだから、早く今あるものから選んで、とっとと会計して出ていけと言わんばかりの状態になっているのだ。まあ、毎週末ごとの、いつものことなので、はじめからわかってはいるのだが、それでも閑散とした売り場を徘徊しているうちに、自分のなかで何かがエラーになって、ちょっともう、今日は何も食べるものがないと、あれもこれも、すでに食べたし、ほかに何も買うべきものがないし、このまま行くと、今日の夕食メニューは白紙ではないかと、今から何かを食べたいと思うこと自体が、世間に対して無理強いしているようなふるまいにほかならないのではないかと、そんな想像さえ呼び起こすほどに、気持ちが切羽詰まって、もう何も食べられない、食べることへの考えを捨てるしかない、そんな途方に暮れるしかない状態にまでおちいった。とはいえ、すぐに気を取り直して、いつものように魚介を中心に、残り物を買い求めた。

あきらかに加熱調理用のアジ二尾は、それでも見た目それほど鮮度が落ちているようには見えなかったので、寄生虫のことは気にかけつつも、結局ぜんぶ刺身にして、葱と生姜を添えて食べたら、なかなか悪くなかったが、途中で飽きてきたので、ふたたびまな板の上に戻して味噌とあえて包丁でたたいてなめろうにして残りを食べた。これもいつも通りで美味しいのだけど、それでも飽きてきたので、さらなる残りを小さく扁平に丸めて薄くオイルを敷いたフライパンでハンバーグのように焼いてみたら、これはすごく美味しかった。

三切れのパックで半額になって売れ残っていたブリの切り身も、ラップがほとんど外れかけてるような廃棄品に近いありさまで、ずいぶん時間が経っているために身の色合いも悪く、腹骨をとったあとのくぼみなどすでに変色しており、いくら安くてもこんなもの買いますかね?と言われそうな代物だったのだが、強めに塩して火にかけて、油が滴り落ちる音がしてきてグリルから出すと、ほらどうですかと言いたくなるような、まったく文句のつけようがない仕上がりで姿をあらわした。どうだ時間の経ってる身の方がかえって美味しそうじゃないかと思った。酒だけは買い溜めしてあるので、何ら不足はなく、満足感を得た、つまり僕はいつものように、安上りな、簡単な人なのだった。