モロイ

登場人物としての「モロイ」から、良い印象を受けることはない。ただし、憎しみを掻き立てられるようなこともない。ある邪悪さというか、現実として、存在としての悪の手触りというか、そのへんの小動物や昆虫が属性としてかかえているのかもしれない罪、のようなものの予感、手触りめいたものはある気がするが、それもかすかなものとしてだ。「モロイ」は、登場人物の独白のような文体がえんえんと続くのだが、それでも意外なことに、それが作家(ベケット)によって書かれている、ということが読み手に見えるような箇所がいくつかある。ほとんど一本調子に、改行なしで、ひたすら脈絡のない言葉が書きつらねられているのに、ところどころ、綻びのような破れ目が散見されるような(ある意味「楽屋オチ」的な)、一見、登場人物の独白がやや淀み、逡巡するような場面なのだが、それが同時に書き手(ベケット)の書こうとする気持ちの淀みであり、そのことへの苛立ちや空虚さでもあるかのような具合だ。しかし、だからといって作品すべてを作家(ベケット)の言葉と捉えて読むことができるわけでもない。「モロイ」は「モロイ」という人物、その人としてしか読めない。そして二章に出てくる、「モロイ」を探すはずのジャック・モランも、やはり「モロイ」その人に強く重なる。というか、ジャック・モランはこうではなかったはずのもうひとつの「モロイ」という感じがある。「モロイ」という名は人物という単位に与えられたものではなくて、いくつかの人物にまたがった、一連の性格とか嗜好とかにもとづく考えのまとまり、動き、流れ、に付けられた名称であるとも言えるかも。