1959年刊行の開高健「日本三文オペラ」を、三分の一くらいまで読んだ。不潔さ、不衛生さ、悪臭、泥と汚穢、廃墟と瓦礫、それらが何重にも折り重なって分厚い層になって何やら怪しげな模様を描いたその上に各登場人物たちがべったりしゃがみこんで各自夢中で皆で寄ってたかって生々しいホルモンを貪り食ってるような小説という感じだ。
それにしても、開高健はやはりホルモンなのか…と。はじめから、ひたすらあの肉片が小説内に登場してきて、この小説の真の主人公はホルモンではないかとさえ感じられる。焼酎とホルモンさえ作品の中に描ければ満足なのかと…。なにしろアパッチ族の皆さんも、皆ホルモンに詳しすぎるし、饒舌で淀みなく喋るし、総じてやや説明的図式的なきらいもあり、そのときに書き手が言いたかったことを登場人物たちがそのまま喋ってるかのような、初期の開高健に特有の生硬さは如何にもだなーという感じ。
この日の御馳走はほぼ牛一頭分にちかいということであった。食道から肛門におよぶ牛の内臓の一系列がひとつのこさずそろえられていた。めっかちやオカマは洗面器のなかを指でひっかきまわして、これはハツといって心臓、あれはマメといって腎臓、心臓はやわらかくて歯切れよく、腎臓はしまってコリコリしてうまい、どんな内臓でも食って食えないものはないが、たったひとつ、膀胱だけは注意を要する……というようなことをいろいろ教えてくれたが、結局ここにないのは牛の角と皮と骨とふつうの肉だけで、あとは全部そろっていた。
って…それをあとは全部…って言うか?とびっくりさせられる。しかしそれらを喰ってる場面の、なんと活き活きしていることだろうか。