石油臭

国力、その潤沢な経済の後ろ盾があったからこそ、アメリカ軍における俘虜の扱いは「人道的」な水準を維持することが出来た。食事は日本人俘虜ひとり当たり自軍兵と同等の2700カロリー分の食糧が供給され、これは米軍の自慢だったらしい。但し体躯の小さな日本人にその分量は多すぎて、俘虜たちに肥満が生じたとのこと。衣類も完全支給、石鹸は使いたい放題、しかも床や便所には定期的に石油が撒かれ、南京虫だの虱だの蝿だのも終ぞ発生しなかった。

鼻を衝く強烈な石油臭。黒く濡れる地面。確保されたこの衛生状態。戦後アメリカからもたらされた「油を塗った板床の匂い」(床 - at-oyr)。不衛生や、汚わいや、制御不可能な無秩序は、その匂いによって、完膚なきまでに封じ込められた。敷き詰められた床板にもその下の土にも石にも、油は染み込んでたえず揮発した。

それはきっと、戦後しばらくの間ずっとあった。おそらく、かろうじて70年代あたりまで、床は、そのような匂いを立てていた。