子供の頃からの記憶に残る、実家から最寄り駅までの道のり。
家を出て、独特のインク臭をあたりにただよわせている印刷屋の脇を通って、米屋の角を曲がって、お墓を通り過ぎて、白い湯気を濛々と立ち昇らせているクリーニング屋の角を曲がって、横断歩道をわたって、床屋や食堂や家具屋の立ち並ぶ通りを歩いて、しだいに左右に商店が増え、人や車の行き来も目立ち始め、銀行のある交差点を曲がって、市民図書館やタクシー会社の並ぶ通りに差し掛かると、ようやく駅前の街並みが見えてくる。
一年ぶりに実家に帰省して、最寄り駅から家まで、その記憶を逆順にたどって歩く。しかし前述したほぼすべてが、今はもう存在しない、道自体が存在しないのだ。このことに驚くのはじつは毎年のことなのだが、でも懲りもせず毎年かならず驚いている。よくぞここまで消え失せてしまうものだなと思う。
新しい建物とか、新しい景色は、過去に上書きされるというよりは、過去に重なっていて、だからところどころ、ほころびのように過去の一部が今も見えていることがある。しかし表層がどれほど変わろうが過去が不可視の下層にしっかりと残っているわけではなくて、過去と現在は入れ子状態というか、過去と現在は合わせて一層を相互に分け合っているのだと思う。しかし一部ほころびのように垣間見えている過去は、過去というよりまるで幽霊のようだ。幽霊とは、見えていること自体の違和感のことなのか。