手触り

こうしてまがりなりにもほぼ毎日何か書いていると、それは半分以上、義務感というか、受け身的な感覚で書かれたものになる。書きたいことを書いているという感じでもなくて、そういう主体性が根本にあるわけではない感じになってくる。もともと、主体的取り組みではない。最初はそうだと思っていても、じきにそうではなくなる。

まず鋳型を選んで、それに液体を流し込んで、固まるのを待つのだが、その鋳型の頼りなさというか、安定しない、予想のつかなさというものがあって、それをじっと見ている感じはある。ただそれが面白いとか自分の個性だとか、そういうことではない。というか、そういう満足感を探りたいわけではないし、探っても大して面白くない。どちらかと言えば、途方に暮れる、死んだ魚の目になる。こんなことを繰り返していて、いったい何になるのだろうかとか、そんなことも時には、思わないでもない。しかしその日に食べたごはんが美味しかった、この味をいつまでたっても、何度食べても相変わらず好きだというのがわかって、そこは何かの手触りらしきものだろうか、と思う。手触りらしきものをまさぐっているのだったか、と思う。