流れ

フレーミング、ショット、モンタージュが、ひとつの流れを示すとして、ならば流れとは何か?流れ。そう言ったすぐに、時系列的なものを思い浮かべてしまうからいけないのだ。

流れとは物事の順序立てた説明ではない。流れとは、たとえば川の流れのようなものというか、川の流れは時間の経過を表現しない。川の流れを見ていると、時間が逆戻りしているかのようでもあり、細かい単位が繰り返されているようでもあり、実質停止しているようでもある。というかそもそも、そのような言葉の説明に向いてない、言葉で書いてそれを読んで伝えられる、そのときの「流れ」とは根本的に違う何かとして、流れている。そのことを言葉では言い表すことができない。

今、何を言いたいのかといえば、現実というのもそのような実際を、じつは順序立てたものとして自分で編集しているだけだと考えていて、そのことを言いたい。だから、本当は理解などしないほうが良い。理解するとは、考えるのをやめるということだ。あるいは、これこそが現実と感じるなら、そのときそう思った自分は、何か「かなしみ」のようなものにとらわれて、なにか本来的なものから、自分を切り離そうとしているのかもしれない。でもそのように思うことで、自分自身に落とし前や区切りをつけたいこともあるだろう。それは程よく小さな死を体内に取り込みたいとの思いでもあるだろう。