色川武大「生家へ」を少しずつ読んでいる。小説の書き方というのを、ことあるごとに意識させられる。よくよく見ると、これはどのことも、それぞれ全然ばらばらで、つながってない。時系列的な何かを説明する気がないというか、結果的には時系列的に受け取るしかないのだけど、それにしてもこんな風に勝手気ままに、思いつくままに、ほとんど酔っぱらいの独り言みたいに、こんな風に書いて、成り立つのだから不思議なものだな…と思う。じっさい、色川武大はどの作品でもだいたい同じ話ばかりしているとも言えるし、それが醒めない夢のように幾度も去来するのを受け止めるのが色川武大を読むことなのだけれども、それにしてもこの書き方なのか、この進み方なのだな…とあらためて驚きをおぼえる。