毎年の健康診断というのも、なんだか飽きていたというか、なんとなく嫌になってきた。とどのつまり、要するに小試験を受けて合格か不合格かに一喜一憂してるだけのようなものではないかと思い始めた。それで実際に健康の度合いが客観的で科学的で信頼における観点から判定されるならば、それはそれで良いのかもしれないけど、でもじっさいはそうでもないのではないか。この毎年の小試験でコンスタントにいい成績を残したとしても、それであなたはずいぶん努力してますね、感心ですね、このぶんならきっと、ずいぶん長生きできますよという、あまり根拠のない予言というか、社交辞令というか、占いの先生に嬉しいことを言ってもらえたみたいな、すごいよなかなか当たってるねみたいな、変なガラス玉の腕輪だか指輪だかをもらって心強く思うみたいな、健康診断なんて所詮そんな特殊な文化人類学的風習に近いのではないだろうか。あるいはとつぜん来る不幸の手紙みたいな、前触れもなく突然他人の家の郵便受けに届く不吉な報せみたいな、いきなりぬっとあらわれて言伝と称して人を恫喝して不安にさせてそのことに悪びれもせず私はあくまでも善意の第三者みたいな顔で澄ましてる誰かの代理人みたいな、それは望まぬ来訪者、余計な情報、わざわざ知らせることで人を貶める悪意のようなものではないだろうか。そんな思いがやけに色濃く、心の中で広がってきているのだ。