小林信彦の連作短編小説「袋小路の休日」より「北の青年」を読む。

北京で生まれ、毛主席語録を読んで育ち、当初は京劇の役者を目指していて、文化大革命の時代に親族のつてで香港へ退避し、英語や日本語を学び、髪型をマッシュルームカットに決めた青年。雑文書きの仕事をしている主人公の上村宏は仕事先の香港で通訳として紹介され彼と出会う。

上村宏は、青年のどこに惹かれ、また数年後の再会で、さらに日本語と文化風俗に深く入り込もうとする彼のどこに軽い失望と戸惑いを感じたのか、この小説を読んだ自分がその感覚を腑に落とすのは、けっこう難しい。

それは小説の中にそれなりに明確に書かれてはいるのかもしれないのだが、しかし納得できるだけの何かが、もともと自分と主人公とのあいだに共有されてない。上村宏はおそらく一九三〇年代の生まれで、青年はおそらく文化大革命時代に十代くらいだろうか。現時制がおそらく七十年代半ばあたりか。いずれせによ自分には、主人公の彼から見て若い世代かつ中国人に対しての感慨というか、戸惑いとか驚きというものを、理屈を越えて理解できるはずもないとは思う。

しかしというか、だからこそなのか、この小説に、妙に惹かれるものがある。どこか遠くの、もうすでに現実に存在しない、まるで霧に霞んだかのような、もはやわかりようもない、誰かの「過去」の感触。それはもしかすると上村宏がなぜか青年に惹かれるのと同じで、よくわからない謎に対する漠然とした期待によるものだろうか。