テレビドラマ「華やかな誤算」(1985年)を見たのは中学一年か二年のときで、このドラマで古尾谷雅人杉浦直樹をはじめて知った。

いや、その言い方は正確ではない。役者を知るなどという概念自体が、当時の自分にはない。あえて言えば、夜の十時頃から放送される(子供や若年層向けではない)テレビドラマというもの自体を、はじめて知ったと言う方が近い。

主題歌は浜田省吾「BIG BOY BLUES」であった。この曲がテレビで夜の十時に流れて、それをバックに若い古尾谷雅人ベンチャー企業立ち上げに奮闘し、壮年の杉浦直樹がそれをサポートするという話で、しかしベンチャー企業という概念さえ知らず、会社組織における新旧の問題だの生き甲斐だの何だの、そういう物語の枠組みや意味合いすら、当時の自分は全くわかってなかっただろうし、どんな映画もドラマも小説も、いわゆる常識のレベルがさっぱりわからぬまま摂取していて、このドラマも人々がなんだか難しい顔で色々な厄介ごとに右往左往しているのを、それなりに夢中で見た記憶がある。どんなストーリーでどう結末ついたのか、今まったくおぼえてないし、おそらく当時も理解してなかっただろう。単に面白かったのだ。もし今見直しても、きっと面白くはないのだろうな…。

古尾谷雅人杉浦直樹、二人ともすばらしかった。彼らの顔やたたずまいが好きだったのだ。昨日観た「唐獅子株式会社」の杉浦直樹のたたずまいに、根拠ない勝手な思い込みで、なんとなくアクターズ・スタジオ経由というかそれ以降のアメリカの役者に感じるものと似た、少し時代とか流派の違いを経て来た人たちみたいな印象を受けた。あてはまる言葉を探すのが難しいようなある内面を表情の下にたたえてる感じして、そうそう、この顔好きだったなと思った。