バーで酒を飲むたびに毎回楽しいわけではないし、楽しさを求めてバーに行くわけではない。目的はただ酒を一、二杯飲むためだが、バーに通ってると、ときには楽しい時間に遭遇することもある。それはたまたま同席した客たちとの会話や雰囲気がやけに楽しかったということで、それは嬉しい反面、ずるずる長居になって帰宅が遅くなるのはヤバイとの焦りもおぼえるわけだが、しかしその楽しさと快適さは、ああ、あの夜はずいぶん楽しかったなと後々まで記憶に残って、ずいぶん時間が経ってからそれがふと頭に浮かぶと思い出し笑いが出てしまうほどで、ごく稀にああいう瞬間に出くわすのが、バーに行く醍醐味かもしれないとさえ思う。ちなみに僕はコロナ禍と呼ばれたかつての時期、この情勢下で、失われるのがあまりにも惜しいと感じられるのは、バーでの楽しい時間だろうと思っていた。

バーでの楽しい時間。それはそこで交わされる会話が楽しいということでもあるけど、何というかそれを含め、お店全体が楽しい雰囲気になるのだ。ガヤガヤと騒がしいわけでも無いし、大きな声で喋り合うわけでもない。むしろぼそぼそとした低い声とかすかな笑いの気配だけみたいなもので、しかも客全部がその雰囲気になってるわけではなくて、誰もが勝手に思い思いに過ごしているのだけど、しかしどこか不思議な一体感につつまれているというか、みんながふだんより少しだけガードを下げて寛いでいて、誰もが今そこにある話題を適当に回し合ってる感じになる。それはもしかすると、他人同士が集まる公共空間として最も理想的な時間が、偶然にもいま実現しているのではないかとかすかに驚き戸惑うほどのひとときだ。

断っておくと、決して酔いで気が大きくなってるとか互いに馴れ馴れしくなってるとか、そういう状態ではない。そういうことなら、きっとさほど楽しくはないし翌日には忘れてしまうだろう。バーで知らない者同士が話をすることが、必ずしも楽しいばかりでないのは言うまでもなくて、とくにはじめからそれ目的の、誰かに話しかけたくて目を爛々とさせてるような人物に合わせる必要も、無意味に愛想良くする必要もない。いつもと同じくあくまでも節度や規律は保たれていて、しかし本来互いが張り合わねばならぬ防衛線をどちらからともなく下ろしていて、それをことさら意識し誇示し合うこともなく、はじめから適当な関心で打ち解けていて、緩い許容と寛容が場を支配してる。そういう、たまにしか現れないようなバー独特の空気があるのだ。