想像するに、画家が「自分が画家で良かった」と思う瞬間があるとしたら、それは自室アトリエに自作をたくさん並べて、それらをあてどもなく眺めているときではないだろうか。そのときの画家は、絵画を観ることの歓喜にこころが満ちていることだろう。

画家は少なくとも絵と共に生活している人で、それは絵を描く行為と同等かそれ以上の時間で、とにかく絵との時間を長く過ごしているというのは、これはすごいことなのだ。

ギャラリーや美術館で絵を観るときに、観ている自分も、自室で自作を眺める画家のような状態になるのが理想だと思うのだが、さすがにそんな同一化は無理としても、出来るだけその立ち位置に近づくのであれば、少なくとも定められたこの時間、お客さんの入場・鑑賞・退場までの枠に仕切られた時間内を、一瞬だけでも忘れてしまわなければならない。

絵画には上映時間がないのだから、いつまでも見ていてかまわない。むしろ出来るだけ長く見ているべきである。午前中から午後にかけて、立っているときと座っているとき、晴れの日、雨の日、暑い日、寒い日、荷物が重い、体調が万全ではない、展示室が薄暗くなって照明をつける直前のとき、それらすべての時間で、絵を見るべきである。現実にはなかなか難しいことだが、気に入った絵ならそれを購入してしまい自室に掛けてしまえば、ひとまずその願望はかなう。

展示空間にも色々あって、展示室内に自然光を取り入れない施設も多いだろうが、やはりそうでなく絵は設置された場の光の変化に影響を受けるのが望ましいと思っている。関係ないけど、あるレストランで、内装の感じは良いのになぜか妙に硬い色のLED照明が使われていて、なぜもっと柔らかい灯りにしないのか尋ねたら、店側曰くワインの色がきちんと見えないから。という話をどこかで聞いた。まあ定点観測に適した場作りも大事だけど、しかしそれだけでは味気ないとも言える。