五年後の生存確率は三十パーセントだと医者から宣告されたとき、その言葉に納得あるいは狼狽するとはどういうことなのか。

人の生死について、何が三十パーセントなのか。五年後の私が三十パーセントは生きていて七十パーセントは死んでいるという意味ではないだろう。私と似たような条件の不特定多数がいたなら、五年後にその割合で生死が分かれるということか。

だから生存確率が三十パーセントだというのは、七十パーセント分の数値に見合う死の覚悟、心の準備をせよということ、あるいはもし死ぬことになっても、三十パーセントという数値をあきらめの根拠にせよという意味になるか。

昔なら教会で神に祈れと言われたのが、今や唐突に確率を出されて、それに祈れと言われてるようなものだ。まあ相手が確率なら仕方ない…と納得しかねないところが怖い。確率はあくまでも仮定あるいは事後集計の結果に過ぎないのだから、未来の根拠にはならないし祈りの対象でもないはず。