Amazon Primeで、黒澤明姿三四郎」(1943年)を観る。戦時下に公開されたこの映画が当時どれほど衝撃的だったかを、リアルタイムでこれを観た人々の残した言葉から今もうかがうことはできる。おそらくは、映画がはじまって間もなくすぐの格闘場面から、それは計り知れないものだったのだろうと思う。

じぶんが今、この映画を観て思い起こすのは、ブルース・リーだの、座頭市だの、スターウォーズの主人公が着ていた衣装だのであって、そのようないくつものアイコンならびに少年マンガ的物語の原型のようなものを見るようでもあって、自分の眼ではその程度にしかこの映画を掘り進むことができないのだが、ただ幾人かの対戦相手たちの、誰もが三四郎に敗れて地に倒れる姿が、生死不明というかたぶん死んでいるのだろうけど、完全に「死に体」で横たわるだけ、その勝負の有りようの清々しいまでの見切り方がすごいとは思った。

まあそんな感想よりも、小林信彦から引用したのを読んだ方が面白いだろう。以下は「一少年の見た〈聖戦〉」より

この年の三月二十五日には大きな映画的事件が起こった。
無名の新人監督の第一作が爆発的な話題になったのである。(中略)この映画を観ていなくては子供たちの間での会話にさえ加われなかった。
(中略)
まだひとりで映画館に行けないぼくは、誰かにつれられて、「姿三四郎」を観た。おどろおどろしいタイトル音楽から、文字通り、震撼させられた。映画とはこういうものなのか、と思った。目からウロコが落ちた。
(中略)
〈ぼくはただもう活動写真の面白さを出そうと思った〉
黒澤明は一九五六年に回想しているが、その精神は戦時中の大衆の心をつかんだ。「寄るなさわるな、みな逃げろ」という劇中のわらべうたが、子供たちのあいだで流行し、柔道着を三四郎のようにボロボロにするのが格好よいとされた。「こら、慢心!」という和尚(高堂国典)の声の真似もはやった。〈精神的な悟り〉など大人にだってわからないのだが、映画全体がやたらに恰好よかったのである。