素人

横浜駅の南と中央の改札を結ぶ通路の一画に、ベンチが置かれたスペースがあり、そこにピアノが設置されていて、通り掛かると大体いつも誰かがピアノを弾いている。弾く人も聴く人もたまたまそこにいただけの人々だろうけど、弾く人はみんなけっこう上手にピアノを弾く。耳を疑うようなものすごい演奏が聴こえてくる、というわけではないにしても、こんな人前で、あえて演奏しようと思うだけのことはあるなと感じさせるくらいには上手だ。とはいえ、そう書いてる自分にピアノ演奏者の技量の巧拙がわかるわけでもないし、エラそうなことを言う資格はなく、自分こそ聴く側の素人に過ぎないのだが、それでもそんな自分が聴く限りにおいて、あの弾き手たちはみんなピアノが上手だ。ちょっと小賢しいまでの上手さである。

そうやって毎晩、帰路の途中に通りすがりながら、ピアノを弾く「上手な素人」の音を耳にしていると、この音とふだん自分がレコードで聴くピアノとどこが違うのかをたしかめたくなってきた。ふだんピアノソロのレコードなど辛気臭いしあまり好んでは聴かないのだが、ちょっとめぼしいものを探して聴いてみた。そしたらやはり、それは「上手な素人」の演奏とははっきりと違った。そんなのは、あたりまえのことかもしれないけど、ただし素人と名ピアニストの違いとは1と100の違いではなくて、技量の巧拙とは別ところで違う。というよりもピアノを使う目的が違うと感じられる。名ピアニストは、とにかく目的があってピアノを弾いているということがわかる。

この文章は自戒を込めて書いているつもりで、なぜなら僕もちょっと気を許すと「上手な素人」を目指したくなるような弱さが、自分のなかにある気がするからだ。「上手な素人」の音を聴いていたくない理由は、鏡に映った見たくない自分がそこにいるんじゃないかという警戒心からかもしれない。「上手な素人」ではなく、ただの素人でいるのは、思いのほかむずかしい。いや、お前はむしろ、もうちょっと「上手な素人」レベルになれよ、という話でもあるかもしれないが…。

名ピアニストは、おそらくピアノで何かを作り出せるという確信を強くもっている。また、そんな自分自身の力を信じていて、自分のことを自分で愛しており、自分が自分から愛されている幸福のうちにある。しかし「上手な素人」はそれらを必要としてないし、余計なことは考えてない。こんな話を、大きなお世話に感じるであろう人たちである。そして、にもかかわらず「名ピアニスト」にあこがれ、そんな演奏をしたいと思う人たちなのだ。