二人でバスに乗り、病院近くの駅で降りる。妻が病院で診察の間、僕は駅前の蕎麦屋に入って、せいろを注文する。せいろは大したことなくて、わざわざ食べてみるほどでもなかった。
店を出て、妻は今頃治療中だと思いながら、花菖蒲の咲く公園まで歩く。天気は良いけど、花壇には何もない。日陰にぽつんと老人がいるだけ。
とつぜん昔の曲を思い出して、今すぐ聴きたくなる。ベンチに座って、イヤホンを耳にして、サブスクリプションを検索する。1997年。曲は同一でも当時と同じようには聴こえない。
20代というのは、単純なのか複雑なのかわからない。強靭な脆弱性とでも言うのか。その音楽を聴いてるときだけがあって、それ以外が何もない。そんなはずがないのに、それで良しとして、単独判断のままで生きてしまっている。それで今聴こえる音楽に寄りかかってるだけ。思い出したかったのはあの愚かさで、曲ではない。
ふらふらと、駅に近づきつつそのへんを歩く。京成線の駅周辺は、細い道が入り組んだなかに商店や住宅が混在していて、まだ何十年前かの古さが残っていて、でも駅前がこの感じというのは今や都内では希少だろう。いずれ消えていくだろうと思う。
病院へ戻ったら、妻は思ったよりもふつうの様子。帰りはタクシーで帰った。