リリースは95年。当時バイト先で散々聴かされて、そのまま大好きになってしまったアルバム。R.Kellyの最高傑作であると僕は思っている。
R.Kellyというシンガーは、その歌の技術力としてはかなり微妙なのだと思う。あの鼻先で歌うようなアクの無さは致命的で、どんなスタイルでもそれが単なる「スタイル」でしかないような事になる。「ソウルが感じられないぜ!」などというコトバはアホみたいだが、実際ソウルを感じさせるのに必要なのは歌唱力なのであって、端的にいってR.Kellyは歌唱力がイマイチなのだと思う。というか優れたヒットメイカーとしての単純な判りやすさがどうしても孕む薄っぺらさがある。それ以外のワザが素晴らしいだけに、その弱点が際立つ。
ではそれ以外ワザの何が素晴らしいのか?といったら、僕が思うに、その目指すべきイメージの確かさと、それを形にする力であろう。具体的には楽曲作成能力という事になるのかもしれないが、はっきりいえば、R.Kellyはアイズレーブラザーズの溶けて流れてしまいそうな甘美さを、自分が作るイメージの大いなる理想にしていると思われる。本アルバムでは名曲「Down Low (Nobody Has To Know))」でロナルド・アイズレーと共演を果たしているが、聴けば誰でも、その官能的な息遣いと共に甘美で濃厚なフレイバーが室内空間に充満するのを感じる事になるだろう。他の曲もシンプルながら恐ろしく甘美な名曲揃いで身も心も溶解する思いなのだが、…これはどうでもいいことだが5曲目の「Step In My Room」という曲が僕は昔から妙に好きで、そのエロかわいい(僕の部屋でstepな)感じに、肉体の迸る気配の妄想が呼び込まれ、完全な何の脈絡もない誤解なのだが、なぜかあのフランシスベーコンの3連作「磔刑像の下の人物のための3つの習作」というオレンジの絵を思い浮かべてしまうのだった。あの絵のBGMが、こんな甘ーい曲だったらと思うと笑えるが…。
…R.Kellyは本アルバムの前年にはアリーヤのデビュー作「Age Ain't Nothing but a Number」をプロデュースしているが、未だ14才の小娘に過ぎないアリーヤ嬢にアイズレーのスロー名曲「At Your Best (You Are Love)」をカバーさせている。これはとてつもなく美しい仕上がりの佳曲であったが、考えてみればアリーヤというシンガーも歌唱力という側面からはちょっとどうかと思うくらい狭い表現の幅しか持たないにも関わらず、それ以外の突出した感覚で、デビュー以降の短い期間、R&Bの最前衛線を走り抜けたアーティストであった。(22才で事故死)…またR.Kellyはこの翌年以降、アイズレーブラザーズの新作では事ある毎にプロデューサーとして参加し、アイズレーの持ち味を最大限に引き出す触媒として、…というよりそのミュージシャンに元々含まれていた素晴らしい魅力を人々に再発見させるような仕事を繰り返していく。
僕がR.Kellyを本当に素晴らしいアーティストだと思うのは、まず「資産」としての既存のサウンド(アイズレーのディスコグラフィー)への徹底した聴き込みがあり、尽きないほどのあこがれを抱き、なんとかしてこの美しさに辿りつきたいと感じて試行錯誤するような、そういう部分を感じるからである。というか、僕もそうだし世間の特に若いR&Bファンなんかには少なくないと思うが、アイズレーブラザーズを再発見し、僕らに教えてくれた人は沢山いるだろうけど、やっぱR.Kellyは強烈だったよね?と云いたいのである。
じゃあ要するに最初からR.Kellyじゃなくてアイズレーブラザーズ聴けば良いって話なの?と言われたら、それは全然違います。と答えなければならない。そうではなくR.Kellyを聴いたら、そのあとアイズレーブラザーズを聴いたとき、仮にR.Kellyを聴かないでアイズレーブラザーズを聴いたときの聴こえ方と、全く違うように聴こえてしまうだろう。という予感があるのであり、アイズレーブラザーズの音楽の「価値」を考えた場合、R.Kellyの姿なしで思いを馳せる事が難しいくらいである。これがR.Kellyという存在の素晴らしさなのだ。
R.Kellyが改めて見出し、R.Kellyが「素晴らしい!」と感じたアイズレーブラザーズが、僕はこの上なく好きなのである。