という言葉は笑う位正鵠を得ている。…僕も実際、サラリーマンやってるから、芸術もやれてるのかもしれない。笑い。
ま、そりゃ確かに、「作品内から感じられるある種の気合」を必要とする事自体が、観るヤツの心のひ弱さを露呈しているとは言えるだろう。でも、それを克服したらどうだっていうのか?立派ですねっていう話か??なるほどそりゃ立派だね。見事なもんだ。…っていうか、関係ないけど、別れ話で逆ギレするのはいつも男である。
この前の「自分で吐いた毒ガスに死す」とか「プロのエロ漫画家は、自分が描く漫画のエロさにやられたりはしないのだろうか?」とかの続きだが、福田和也が「いつでもいく娼婦」というのを書いていたのを思い出した。「日本人の目玉」に収録されている。それを読み返してみたのだが、…どうもなんか、どうも違う。その後、イギーポップのステージングにまで言及されてるのをみるに及んでは、ますます違う気がする。…っていうか、実は僕の考えてる事も、結局は「ステージで流血」みたいなのに繋がっちゃうのか??それも困る。。
どっちかっていえば、こっちの方が近いし、気に入ってる。「背骨を抜いたら、立ってられへーん」
といって、うなじのあたりから背骨を引っこ抜くしぐさをして、その後ぐにゃぐにゃとカラダを倒すギャグ、というか、一発芸みたいなヤツを当初体験したとき、その侮れない破壊力とスピード感に、結構うちのめされた。ああ!これはものすごいじゃん!と思ってしまった。でも所詮お笑い芸人の芸にすぎないから、こうやってそんな事を大げさにブログに書く事自体がおもしれーなあとか言いながらわざわざ細かい事を書く事自体がツマラナイんだからやめとけ。忘れろ。とか思ってたのだが、でも…結局書いてしまった。
なんというか、なんで背骨を抜いてみたのかが気になるし、たってられへんといいながら上半身をくにゃくにゃさせながら、でもこれでもまあ、いいのだとでもいいたげですらある横スイングを展開するのだが、それら全体が、拠って立つ大きな歴史とか物語から爽快なまでに切断されつつ、しっかり独りで屹立しているようでいて(でもたってられへん)…なんかそういうので一瞬、気が遠くなってしまう感じがある。今日はこのへんで!!