大西順子トリオ1st Show(ブルーノート東京)


大西順子トリオの演奏を聴きに青山へ。…大西順子は僕が大学に入って少しした頃、1993年にデビューアルバム「Wow」の一曲目「The Jungular」でどやしつけるかのような中低域のどーんというピアノのものすごい迫力とともに登場したのだ。大西順子が取り上げる曲とかオリジナルは、非常に硬派で泥臭いかあるいは奇妙な捩れを伴うような楽曲が多い。セロニアス・モンクデューク・エリントンやチャールス・ミンガスなどの、大体ある種の毒を含んでいるような曲を好んでいるように思われる。そして、それらの曲を捻じ伏せ、叩きつけるような圧倒的なパワーで、曲自体がきしむ程の力で演奏する。しかし、気合とか汗とかの匂いがまるでしない、妙な淡白さも併せ持つ。曲の毒性を誇張しようという気などさらさらなさそうで、不協和音というものにも過剰な思いいれとか意味づけとかを全くしていないような感じ。ただ思ったとおりに、驚くほどあっけらかんとぎゃろーんと弾くのである。これがカッコいいのだ。


表現主義的ともグロテスク趣味とも思われるような曲を、更にテンポを変え強弱を付けリズムを崩し、なし崩し的に楽曲構造を微分・解体してアドリブを埋め尽くしていくのだが、そこに過剰な熱さとか個人の意志の匂いがあんまり無い。とてつもなく冷徹である。練習した結果そのままの素っ気無さの音が晒されている感じ。すごい高速で連符が連ねられていくのに、不思議に不器用な抵抗感が残ってる感じ。誤解を恐れず云えばとても寒くて貧しい音のひとつひとつで、しかしそれを集めて楽曲にして、演奏が開始されて徐々に発熱してくるときの物理的な強度だけがあるというか…(もっとちゃんと云いたい事が言葉になるまで時間を掛けて考えよう。面倒臭がらないように!)


「Wow」とか「village vanguard2」とかに入ってるモンクの「Brilliant Corners」という曲の筆舌に尽くしがたいほどのカッコ良さなんかが良い例なのだが、僕にとっての大西順子はもう、どこまでもファンキーで乱暴でややグロでダークで、高揚のためなら形振り構わず手段を選ばない癖に、同時に恐ろしく冷静で音自体には感情移入がなく慎ましやかで素っ気無いという、そういうイメージであった。


で、10年以上ぶりに生演奏を聴いた訳だが、最初にいかにもという感じのダークな助走から少しずつ「Eulogia」が聴こえ始めた瞬間、感動でほとんど感極まりそうであったが、まあ、大西順子は10年経っても、やはり大西順子であった!何も変わってないというか、引き続きこういう演奏なんだなあと思った。いや昔よりより過激で明快ですらある。新曲の感触とかもまさにそういう印象をもった。ノリのままにどこまでもどこまでも突き進んでしまう。テクニックに乗っかって陶酔する訳でもなくワザトラシイ表情付けで装飾する訳でもなく、音色を音色のままこの現実のままに、そのまま高みに駆け上ってしまう。タイトに刻まれるリズム上で何度も何度も手を変え品を変え強力なフレーズのバリエーションをたたみ掛けていく。…こういうのはもう、たまらない。眩暈がする。いくらでも聴きたい。金なら幾らでも出す。お願いだからまだやめないでほしい。…などと思いながら全身で感じ続けるだけだ。やっぱぶっ叩くような重戦車のような、ああいうジャズは最高です。久々に燃えた。