総理大臣が辞任を表明したというニュースを聞いて、なんとなく思ったのは、やはり今より昔の人の方が全然タフだったのだろうなあという事だ。…すごくズレた素人の感想として勝手に思った事を書くとすれば、あの辞任の表明した総理大臣は、今、もうボロボロの状態なのではないだろうか?「あ、おれもうマトモに自分を制御できなそう。今が限界だ!」とか、思ったのではなかろうか?一国の指導者がどんどん行って行って、結局、遂にそこまで行っちゃうのが、昔なら在り得なかったのじゃないだろうか?と想像する。
昔の人なら、…政治家でも実業家でも、もう死んじゃったり最高にヤバイ状態になったりする事とかに対してかなり無頓着なのではないだろうか。少なくとも昭和初期までとか、戦後復興〜高度経済成長を達成した時期の指導者というのは、無理矢理殺しても死ななそうな気がする。(実際暗殺されたりもしてるけど)で、それが良いとか、昔の方が立派だったとか言いたい訳ではない。昔の指導者達は色々ありながらも結果的には何かやってるから歴史に残っている訳で、しかし成果を抜かせばどうせ良くも悪くも無茶苦茶乱暴だったのだろうし、今の方がよっぽど「民主的」だし「丁寧」だし、昔よりは「正当」な手続きで物事が決まって維持されるのだろうから。何がよくて何が悪いのか?なんて、誰にも判らない。今が良ければ、結果オーライなのが人間である。で、そういう欲望も何も一緒くたにして無茶苦茶な情熱だけで進んでしまう豪快さにかけては、まるで毎日大バクチで勝ち続けて大成したような、そういう現在の我々の想像を遥かに超えた所に居るのが、昔の人なのだろうと思う。金だの名誉だの幸福だののイメージがまた違うだろうし、参考になる強力なお手本も無いところからスタートするから、本当に幼稚な野蛮な力で一方的に鷲づかみにするやり方なのだろう。というかイメージを想像し切れないのが「昔」というものなのだろうけど。
繰り返すがそういう「昔」的なものや、「昔」的な人物の方が良いとは、まったく思わない。そんな人間は、むしろ醜悪で不快な人物であろう。そんな指導者ではいくらなんでも困る。というかもう、時代が全然違う。これは大前提だ。今の世の中でロマン派風の大作を描いても馬鹿馬鹿しいだけだ。今の世の中で自己肯定と自己防衛の塊みたいな人間はハタ迷惑なだけだ。…しかし、是非はどうあれ、そういう方が「強い」とは言える。「強い」人は止まらないし病気にならない。…そういう「強い」野蛮さを今もう一度取り戻そうとしても、それが無理なのは当然と言えば当然だが。っていうか今後、本当にそういうカラッとした阿呆みたいなのが、何の脈絡もなく生まれてきたら怖いが。
(総理大臣とはまた別の、ある種のおじさんやおばさん特有の、町で見かけるひどい図々しさや傲慢さや狡猾さが、僕は嫌いである。しかし、その一方で、いざとなったら僕は、あのおじさんやおばさんに簡単に負けてしまうのではないか?原始生存競争みたいになったら歯が立たないのではないか?というような不思議な怯えの感情も持つ。…立ち昇る不快感や嫌悪感が、ハタから見てとてもしょぼいつまらないものなのではないか?という不安)
色々上手く行かなくても、周りからグダグダ言われても、あんまり気にしないというか、全然懲りないというか、こいつ駄目だバカだから放っておくしかないよ、とか思われる位の勢いで、ずーーっと一方的に進んでしまう。そういうのが正しい訳ではないのは勿論だが、でもそれなら精神的に参ったりもう自己制御不能になたり、そういうトラブルはなさそうだ。で、そういうトラブルを起こさないというのは、人間にとって、多分結構大事な事なのだと思う。いやでも今回辞任した総理大臣が辞任しない方が良かった、と言いたい訳ではない。でもああいう風に停止してしまうというのは、なんとなくびっくりしたので、色々取り留めなく書いてみた。