「妻の心」



まさに成瀬の「夫婦もの」そのものであり、相変わらず、本当に気が滅入るような陰湿でじめじめとした、人間の身内同士が寄り集まって牽制し合っているときの、ほとんど鼻の奥を刺すような強烈な臭気が漂っていて思わず顔をしかめてしまうかのようなお話である。つくづく、こういうものを好んで平然と観続けてしまう事の異常性というか、麻痺性というものをおそろしく思う。あぁ、あのお金がもったいない、とか、貰えそうなものをあきらめるのよりも、元々持っていたものを奪われる方が、悔しくて憎らしいもんだなあとか、そういう事がずーっと気になってしまう(死)。本作は夫婦ものの中でも金銭にまつわる部分がわりと強く出ている意味では「娘・妻・母」にも似た質感で、うんざり度も同等なものがある。


しかし、そういううんざりの世界とはまるで無関係に、高峰秀子がうつくしすぎ。「女が階段を上がるとき」を思い出させるような石膏のような硬質な質感の感触を与える顔。高峰の顔の丸みをおびたフォルムが、この映画ではペタンと平面的で、頬の稜線を境にした前面一帯がとぶほどの白さで空間の中空に浮かび上がっている。


襖を開け放した二間の、奥の廊下まで見えるかのような日本家屋内空間があり、手前には姑の婆さんの背中が大きく被さり、その少し向こうに、姑の婆さんと向かい合うようにして高峰がいる。「膝詰めで説得されている」シーンだが、厳密には膝は向かい合っておらず少しだけずれてる(笑)。姿勢の良い正座姿ではあるが、真っ白な顔を不安と不満に曇らせていて、体の方向のずれた感じに、強い抵抗感とか反発感が感じられる。


本作では高峰が着物で外出するシーンや正座するシーンが非常に多く、着ている着物も大層立派な感じに見えて、そのあたりもやはり「女が階段を上がるとき」を思わせる。なんというか、主婦としては雰囲気が立派過ぎる感じにも見えて、妙に玄人っぽいようにも思えてしまうのだが…まあでも、そこが良いのだが。軒先から顔を覗かせた兄の三船敏郎に軽く会釈する。きちんと身繕いした女性の作り笑顔の、内容空白で空虚であるがゆえに却って救われるような気持ち…。


そして、物語の中盤と終盤の二回、ここぞというときに登場する「鏡台の前の斜め座りの後姿」が極めて効果的である。勿論、夫に対してブチ切れる直前の、戦闘モード準備フォームである。やや忙しない手つきで化粧水とかを顔に苛立たしげに当てて、無表情で鏡を見る。男性なら誰でも震え上がるよりほかない瞬間であろう。


夫役の小林桂樹も、この映画に限らずいつものことながら、本当に優柔不断でうじうじしていてはっきりせず、大事なときはそそくさ外出して、後で責任はお前だろといわんばかりの態度で開き直るわ、そのくせ影でこそこそ芸者遊びしてるような、本当にどうしようもない、薄汚い卑劣漢というか人間のクズというか、まさに男性なら誰でも共感をおぼえるような性格の男を好演している。…あの、表情を変えず頭部を絶対に動かさないようにして、目線だけを必死に左から右へと移動させて妻の歩いてゆく先を追いかけるときの、あの情けなさ。。あの姿は、まさにあなただ。


…実際、気が、滅入って滅入って、なんでこんな映画みてんだっけ?とさえ思う。でも高峰秀子がうつくしくて、出てくるたびに、はっとする。昨晩、この文章を書くために部分的に見返していたら面白くて、結局また、最初から最後まできっちりと観直してしまったのだが、やっぱり観てるとここには全然書ききれないくらい、実に細やかで素晴らしいのである。