Michael Jackson


一日だらだらする。昼過ぎまで少し制作した後、延々youtubeを見てだらだら。そのまま夕方になったので、そのまま奥さんと呑み会しながらやっぱりyoutubeを見ながら。奥さんが寝てからもひたすらyoutubeでだらだらして、さっきまでずっと見てた。


マイケル・ジャクソンジャクソン5の時代からSoulTrainの映像や、Off The Wall、thriller、Badを経てDangerousに至るまで…あたりまでをあらためて一通りみた。僕はマイケル・ジャクソンに関しては今までほとんど思い入れはなくて、アルバム的にはOff The Wallというアルバムがすごく良いと思うくらいで、あとはSoulのコンピレーションとかにジャクソン5の曲が入ってるのがたまに良いかなと思うくらいで、thriller以降はアルバム単位では全く聴いたことがないほど興味がなかった。


あまりにも有名な楽曲群とそのプロモーションビデオを見ていると、如何にもマイケルジャクソン的な、あの異様なまでに落ち着きの無い、意識とは別に四肢が勝手に動いているかのような、16分刻みのすさまじいスピードでたえず揺れ動き止め処も無くばらばらに拡散するのを4拍目で一気に元に戻す!みたいな、あのダンスを、リズムが続く限り延々と、いつまでも飽くことなく繰り返し踊り続けているのを見ていると、これはもうほとんどダンスというよりは衝動とか情動の放出/抑制の瞬間圧縮同時早送り稼動状態、とでも言うよりほか無いようなのを唖然として見ているような感じである。で、ことあるごとにあの表情で、眉間に皺を寄せて口を大きくあけて、だぁ!ほぉー!うぉーーー!と叫ぶときの、あの険しい表情一発が、もう驚くほど見事に「決まる。」もうバチーン!と決まる。それは「音楽が決まる」ときの感じとは微妙に違う感じの「決まり方」なのだが、でもあの感じこそが、マイケルジャクソンをかつて無いほどのスターにしたのだと思う。


しかしそもそも、あの異様に目まぐるしい勢いのダンスを、10人20人のバックダンサーを従えて一斉に、一糸乱れずステージ上で踊るというのは、ああいうステージもまさにマイケルジャクソン、という感じだが、しかしあれほどきっちりと一糸乱れず同じ事をする(そのために練習する)みたいなのは、たしかにものすごいのだが、しかしそれは今更ながら、全然「ソウル」っぽくないのである。いやこないだ青山でRaphael Saadiqとコーラスの、完全に時代錯誤であり、あえて今コスプレ的に大人なソウルで如何にも遊びの余裕っぽい感じがコテコテに俗物臭くてどうかと思うところもありながらも、むしろそれゆえにやっぱりホレボレさせられてしまうような、懐古モータウン様式な振り付けを見たから言う訳じゃないけど、やっぱり60年代当時の黒人ミュージシャンたちの、テレビ出演に際して慣れないスーツを着て慣れないステップを踏むみたいな、お揃いのスーツ着た背丈のばらばらなだらっと立ったバックコーラスの、やる気があるんだかないんだかわかんないような感じで、リズムに合わせて右、左、右、左、とステップを合わせるだけのあの感じは、それはなぜかそれだけで実際ものすごくソウルっぽくて、そういうユルさの中にすごい強烈なファンクというものが内包されてしまうところがすごいと思うのだけど、そんなところから、時代は流れ、音楽はかわり、このマイケルジャクソンというミュージシャンは、ほんとうにえらく遠くまで行ってしまったのだなあと思った。(まあそれらを全て今の場所から一覧で眺めてるだけで、こういう事を言うのはとても怠惰で横着な事なのだが。。)


…まあでも、こうして書いていて、今ここまで来た時点で、とりあえず思ったこととしては、やっぱりマイケルジャクソンというのは偉大なんだなあ、と思ってしまった。そう思って書き始めたものではなかったので、我ながら意外だ。なぜそう思ったのか。…なぜなら本当にこの人は、自分がそうでなければならない、と思ったとおりの事しかできないような人だったからだ。結果的に全然「ソウル」じゃないけど、でもだからこそ、それは本当にすごい。その強烈な思い込みの強さにおいて、マイケルジャクソンという人はやはり、歴史に名を残す偉大なブラック・ミュージシャン達の系譜にしっかりと連なる人物なのだと思った。