地震発生の瞬間は横浜駅前にいた。大勢の人々が行き交う駅の入り口、建物の中、お店の中、あらゆる場所から、あの警報アラートのメロディが分厚い音の積み重なりになって、まさに空間すべてを埋めつくすように鳴り響いた。

いったいこの界隈全体に、合計いくつの小型スピーカーが存在するのか、きっと何百台、いや何千台ものスマホに搭載された小型スピーカーたちが、まったく同一のメロディを奏でて、それが分厚い積層雲のように、この金曜の夜の、湿気の籠る夜全部へ一挙に充満して気体になって立ち昇るかのようだった。

かつての空襲警報は、いったいどんな風に聴こえたものだったか、当時のスピーカー性能と距離、サイレン音、もうすっかり慣れっこになった、おきまりの行動として家族と共に防空壕へ逃げ込んだ経験と、たった今のこれがリンクするのか否か。「あるいは三十分後とか一時間後に、もしかすると死んでるかも」という、お定まりな想像の端緒として、昔と今はつながるのか。

それはたぶん、見上げた先にぶら下がってる商品の陳列棚とかワイングラスの棚とか照明器具とかを、かすかにゆらゆらと揺るがせているものの力とはまた別の、でももしかするとそれに拮抗するかもしれないような、できるかぎり、それに屈することを是としないような、何らかの力をあらわれなのかもしれなかった。

ただし、今や誰もが嫌悪感や不安や恐怖をしめす、すっかりおなじみのメロディは、これだけ分厚くくぐもった、まるで物質のような、あらたな全体共通の音楽になったとき、むしろユーモラスにさえ聴こえるのかもしれなかった。