身内


 夢を見ていた。妻の、学生時代の写真などを見ている夢である。小学校、中学校、高校それぞれの卒業アルバムのどこかしらに、昔の妻がいる。ページをぱらぱらとめくっていると、意外とわけなく妻を見つけることができる。クラス写真のページと、クラブ活動のページと、委員会活動のページにいた。運動会とか修学旅行のページからは見つからなかった。ざーっと見ていて、あ、これだ。と思う。妻がいるというよりも、妻の面影をもった、まだ幼さを残した女子がいる。見つけることができるというのは、これが妻だと納得しているということで、同時にこの写真の世界と自分とのあいだにもかすかなつながりがありうるということさえ感じているのかもしれない。とはいえ、それが妻かどうか、この集団の中で妻らしき人物はこれとこれだ、という風に、ある意味消去法で選んでいる。並んでいる他の生徒ではなく、この生徒だろうと見当をつけて、後は「この生徒」を探している。

 なにしろ、夢の中での話であるから、実在する妻の卒業アルバムとはおそらく全然違う、僕が夢の中で勝手に作り出したアルバム写真を見ているのである。たぶん記憶にある自分自身のアルバムとそれ以外の一般的イメージとの混ざり合ったようなものを、妻のアルバムとして見ている。現実に妻の昔の写真やアルバムを見たことがあるのか?と言ったら、見た事はある。しかしそれがどんなアルバムで、どんな写真だったかは、もう忘れた。忘れているので、夢の中でいいかげんに作られた写真を見ているときの感じと、現実の見たときの感じはたぶんそれほど変わらないはずである。

 昨日の夜、妻は眠りながらたくさん夢を見ていた。起きたら朝の四時過ぎだった。僕が布団に入ったまま、顔をこちらに向けていた。目が開いていて、妻を見ていた。僕はまだ起きていたのだ。今から寝るの?と聞いたら、そう、とのこと。これから寝るところだ。妻は朝方の人間で、目が覚めるのが早く、四時とか五時に起きる。休みの日など、僕はよく朝方まで起きているので、さて寝ようかと思うと、起き出そうとする妻と入れ違いになる事も少なくない。

 午前十一時、妻は外出の身支度していた。僕は寝ていた。妻が化粧をしている途中で、僕が起きてきた。これから散歩に行くけど、どうする?一緒に行く?と聞いてみたら、行かない、家にいる、とのこと。妻はその後、着替えて出かけた。今日も昨日に引き続き散歩するそうだ。水元公園まで歩く予定。前も一度行ってるのだけど、もっと近いルートがありそうなので、今回はそのルートにチャレンジしてみようと思っている。僕は冷蔵庫から適当に朝食を作って食べて、その後お茶を飲みながら、うつぶせになっている本を手にとって昨日の続きから読んだ。時間の過ぎていくのの早いこと。休みといっても、こうしているだけであっという間に終わってしまう。何ができるというわけでもないなあと思った。妻はその頃、中川を渡る橋へ向かって歩いていた。地図を見て、渡ろうと思っていた橋があったのに、実際に行ってみたら、人間の渡るための橋ではなかったのだ。結局川沿いを歩いて、前回も渡った橋を渡った。それでも前回より所要時間が大幅に減った。公園に着いたので、着いたよとメールしたら、早いね。もう着いたの?と返信が来た。今何してるの?と返したら、読書中です。との事。

 私にはすることがあるのだ。私には、誰がなんと言おうと、やらなければならないことがあるのだ。やり遂げなければならない。やり遂げることはできないかもしれないが、とにかくやらなければいけない。やることをやる、そのとき、それがすなわち私だ。

 その学籍簿からは、いかにも昭和初年の女子学生らしく銘仙らしい着物に銘仙らしい羽織を重ねて耳かくしにした母の写真が、勝気そうな目をみはってこちらを見つめている。英文科の二十八回生で成績は上の上、卒業論文の題は「Japan, before and after the National Isolation」である。趣味の欄には「洋楽、絵画、国際問題、婦人問題、社会問題、政治、家事、文学」の順に記入されている。ここに国際問題がはいっているのは場違いな感じだが、あるいはこれは同じ学籍簿に予備海軍少将と書かれている祖父の影響かも知れない。祖父は駐英大使館付武官をしていたことがあったからである。そして母の「係」は「国際聯盟係」である。
 性質は「快活、物にこだわらず、意志固し」とある。信仰の欄には「真心の愛」と書かれ、志望には「女学校の教師、或は Secretary」と書かれている。(一族再会 江藤淳)

 健三は実際その日その日の仕事に追われていた。家に帰ってからも気楽に使える時間は少しもなかった。その上彼は自分の読みたいものを読んだり、書きたい事を書いたり、考えたい問題を考えたりしたかった。それで彼の心は殆ど余裕というものを知らなかった。彼は始終机の前にこびり着いていた。
 娯楽の場所へも滅多に足を踏み込めない位忙しがっている彼が、ある時友達から謡の稽古を勧められて、体よくそれを断わったが、彼は心のうちで、他人にはどうしてそんな暇があるのだろうと驚ろいた。そうして自分の時間に対する態度が、あたかも守銭奴のそれに似通ってる事には、まるで気がつかなかった。(道草 夏目漱石)