後ろ姿

公園を散歩中、妻が写真を撮る。その写真には、妻の見た景色と、妻の前を歩く僕の後ろ姿が写っている。僕はその写真を見てまず真っ先に、それが妻の見た景色だと感じる。なぜならそこには、僕自身の後ろ姿があるからだ。

自分自身の後ろ姿は、当然ながら自分自身の眼で直接見ることができない。それを見るには、こうして写真でも撮ってもらうよりほかない。しかし撮られた写真は、それが自分の後ろ姿であることよりも、それが自分以外の誰かの見ている世界であることの方を、より強く感じさせる。

同時にこの写真に撮られた後ろ姿の人物が、やはり自分自身というものを所有していること、この人物なりの世界で、この人物なりの意識を有していること、その不思議さを感じる。この人物もまた、おそらく自分自身を取り替えの効かぬ、かけがえのないものと思っている、そのことの頼りなさや危なっかしさを感じて、妙に落ち着かない気分になる。