数日前から、西川アサキ「魂と体、脳」を再読。ちょうど一年前に途中で挫折したので、最初から読み直しはじめた。先週のはじめに、「探求II」を読み終えてまだそれほど日が経ってないので、「単独性(この私)」についてのことが、頭の中に割とのこった状態で読み始めたので、クオリアというものに対して感じる質感が自分のなかに強くあり、そのせいで第一章から、一年前よりもぜんぜん面白い。おそろしくゆっくりだが、かなりエキサイティングに読み進めていけてる。というか、このモナドロジーというのは、ほとんど異常としか思えないのだが、この異常さを忘れてしまって読み進んでもあまり意味が無いのだろうと思う。とにかく、ものすごく異常なことを語っているので、文章は平易ながらところどころものすごく変としか思えない、というか、変としか思えないことをふつうに説明してしまって、それでしらーっと平然としているような箇所が多々あり、そういう迫力が物凄く、思わず笑いそうになる。…まあ実際、何度も行きつ戻りつしながら、それこそ自分で自分に語りかけながら読み進むしかない。どうなの?もう一回戻る?少しやめとく?などと思いながらおそるおそる進む。吉田健一の「三文紳士」も鞄に入れてあり、それを気分転換に読むこともある。時間と勢いがあれば、ある程度進んでしまうし、そうでもなければ、あるところでやめたり、また読み始めたりする。まだ40ページくらいしか読んでない。
…たとえば「視点」というものが、「たとえ自分のものでも常に推定されるしかない一種の他者だ。」などという言葉がでてきて、これは結構ショックだ。言われてみればたしかにそうで、これ以上他者な他者はないと云えるが、それにしても自分の視線すら他者とは、と思って唖然としてしまう。