手もと、耳もと


これ、誰の何ていう曲だろう?と思ったとき、ベストなタイミングでiPhoneを取り出しshazamを起動してその曲名を知ることができたら嬉しいが、大体それほど素早くは動けない。少しの間動けずに、あ、shazam!と、思ってからではもう遅いという場合が多い。今ふいに聴こえてきたCMの曲とか、数秒くらいしか猶予がないような場合だと、shazamを使うのはほぼ無理である。しかし、よくよく考えてみると、今掛かってる曲のタイトルが、手元ですぐわかるっていうのは、ほとんど奇跡である。このままもうちょっと行けば、隣の人が今何考えてるかも、手元ですぐにわかるようになるんじゃないかとさえ思う。


ちなみにGoogle自動翻訳に翻訳させながら「ローマの休日」を字幕無しで観たら、どのくらい大変だろうか。きっと、ぜんぜん画面なんか観てられないだろう。やっぱり声の翻訳結果がその場で、遅くとも0.5秒遅れくらいで、直接耳に聞こえてくるくらいじゃないと、実用レベルでは厳しいのだろう。


音声翻訳ソフトとか使って、洋画を観ることができるか?…というか、これで外国人と話ができるか?


もし外国人と話ができるなら、話をしてみたいものだなんて、唐突に思ったりするものだな。これまで外国人と話をすることができるなんて、考えもしなかったし、海外旅行も、たぶんもう行かないだろうと思ってたし、もし行くとしても、できれば通訳の人を連れていきたいくらいだけど、そんな金は無いから、やっぱり行かないだろうな、と思っていたけれども、今の技術、いやもう数年先かもしれないが、最近の技術なら、リアルタイムで自動翻訳が出来てしまって、そう思ったら、だったらちょっと、色々と外国の環境でその場にいる人々と、話をしてみたいかも、とか、唐突に思う。こんにちわ、誰かいますか?的な。別に具体的に、誰かに用事があるわけでもないのに。はじめてネットワークがつながったときみたいな、単なる興味本位、意味のないノックというか、ピンポンダッシュみたいな。