セリーヌ「夜の果てへの旅」を、いつ読み始めていつ読み終わるのかわからないほどゆっくりダラダラと読んでいる。おそらく、百年前に撮影された歴史的な映像を次々に観ているような感じで読んでいる。主人公が、物語の最初からずっと一貫した態度で、粗野で下卑た口調とは裏腹に、世界中で只一人マトモな感覚を有した人物として、自らの体験を律儀に懇切丁寧にレポートしてくれている。目を覆いたくなるような、酸鼻の極みと言いたいような、その淀んだ空気、暗さ、充満する悪臭、その不潔さを。ただしそれはたとえば横光利一「旅愁」を読んでいるときのような、百年の時間をさかのぼっての旅行体験のようなものではなくて、そこに物珍しさや違和感を見出すことは意外と少なく、むしろそれはこの現在とあまり変わらない世界に感じられるのだ。とくに後半にしたがってますますそうだ、組織化と貧困化の人間にもたらすものは昔も今もあまり変わらないのか、すでに慣れ親しんだ、よく知った世界にも思える。