慶州 ヒョンとユニ

A PEOPLE作品5本、1,800円で3か月間見放題! http://www.uplink.co.jp/cloud/features/2693/ で、チャン・リュル「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」(2014年)を再見。去年吉祥寺の映画館で、はじまった直後に寝落ちして中途半端にしか観てなかった映画で、このたびようやくきちんと最初から最後まで観ることができた。とても良かった。記憶をめぐる映画、できごとの不確かさ、記憶の頼りなさ、現実と非現実の曖昧な境目…といった主題はありがちかもしれないが、それを中心とするのではなくあくまでも慶州という場があり、存在する登場人物たちはあくまでも風景の中にいる人たちで、その風景全体を越えることはないが、風景全体はもしかすると誰か、たとえば主人公の男性の頭の中に存在するのかもしれない。その身体と記憶の、受け身ながら自己本位な存在感そのものの中にすっぽり入りこんでしまったかのような、ひたすら自分にとって都合よく心地よい夢をえんえん見続けているようだ。観終わった後も、いつまでも各場面を記憶から呼び出して、ずっと思い浮かべていたいような作品。

北京大学の教授であるヒョンは、友人の死をきっかけに、かつてその友人を含めた三人で訪れたことのある慶州のお茶屋を再訪しようと、かの地をおとずれる。そのお茶屋の主人として働いているのがユニだ。ヒョンとユニは主人と客の関係として、その茶屋での時間を過ごす。

ヒョンは北京大学の教授で、若くてカッコいいのでかなり女性からモテるようだが、妙にボケっとしていて、なんか変な、どこか間の抜けた印象をあたえる人物だ。観光案内書の女の子はヒョンがカッコいいので嬉しそうに店に来たヒョンを迎え入れるし、お茶屋の客である日本人の中年女性二人はヒョンがカッコいいので、ぜひ一緒に写真を撮らせてほしいと依頼する。ヒョンは黙っていても勝手に女性が寄ってきてチヤホヤされるような男性で、しかしヒョンはその自覚が薄いというかそのことをとくにとくに何とも思ってなくて、テンションの高い相手をいつも軽く驚いたように見返すだけだ。基本は一人で、ひたすらぼんやりしている。気まぐれに元彼女(というかおそらく適当に遊んだかつての自分の生徒)を慶州まで呼び寄せてみるけど、彼女は過去のヒョンの仕打ちに未だに酷く怒っていて、ものすごく気まずい時間を二人で過ごすことになって、怒り嘆き悲しむ相手をヒョンはなすすべもなく困惑気味に見守るだけだ。ヒョンの奥さんからは、独りで留守番しているのが寂しいとメールが来る。

七年前に友人たちと訪れた、その茶店の壁には「春画」が描かれていた。その絵をもういちど見たい、確かめたいというその思いで、再びここを訪れたのだとヒョンはユニに告げる。ユニは三年ほど前にこの茶店の主人になった。その春画は、上から壁紙を貼って隠してしまったという。

死んだ友人の奥さんは浮気していたらしいとの噂がある。冒頭の葬式のシーン、その奥さんはきりっとした顔でヒョンに挨拶をする。また慶州の茶室で、ヒョンは奥さんと相対する、あるいはヒョンが奥さんの幻影をみる。二人で向かいあってる。ヒョンはおそらく奥さんを思い浮かべている。

慶州という町は韓国のどんな場所なのかまったく知らないが、国有遺産に指定されてるような、大きくて立派な古墳がある。長距離特急みたいな列車が停車するくらいには栄えた、緑のうつくしい町という印象だ。何よりも晴れた日の日差しがきれいで、自然の木々の緑がきれいだ。夜の古墳、夜景、公共住宅の灯り。まったく何の変哲もない、それこそ日本の景色だと言われても信じてしまいそうな景色だが、それでいてなぜかうつくしい。

ユニは友人たちとの飲み会にヒョンを誘う。慶州の大学教授に絡まれたり、おそらくユニを慕っている友人で刑事の男から強く反発心をぶつけられたりもするが、ヒョンは困惑しつつただやり過ごすだけだ。そんなヒョンをユニは自分の部屋まで誘い、この部屋に泊まれと言う。

飲み会の前から、なぜユニはあれほど態度や表情が変わってしまうのか。それはヒョンが、かつて死別した夫を思わせる、とくに耳のかたちが似ていることに気付いたからなのか、しかしそうじゃない、そんな明確な理由があるわけではない気もする。この映画の後半において、ユニは鬱症状かと思うほどに内省的だ。そしてかすかな力でヒョンを誘惑しているように思われる。照明を消した、薄赤い間接照明だけになった部屋で、ソファに並んで座る二人。期待するわけではないが、何かあればけして拒まないだろう、やがてユニは寝室へ向かい、ヒョンはリビングのソファーで眠るが、ユニは寝室のドアを少しだけ開けておく。少しの隙間から、ヒョンがいる部屋の灯りが見えている。しかし灯りは消える。やがて朝がくる。

翌朝、ヒョンは前日に元彼女が診てもらったはずの占い小屋へ出向く。しかしそこにいたはずの老人はすでにいない。若い女性占い師は、老人がここにいたのはもう何年も前のことだと言う。おどろいたヒョンは雑木林の向こうにある川岸へ向かう。かつて壊れたはずの石橋が、その跡が残っているか、あるいはその石橋そのものがもしかして今も健在かを、確かめようとしているのかどうか。

七年前に、友人三人で茶屋を訪れた場面が回想される。そのとき茶を給仕してくれているのは、ユニではないか。だとしたら今も昔もこの茶店の主人はユニだろうか。

最初に出てきた親子連れも、バイクの暴走族も、それぞれ二回ずつ登場する。死んだ友人の奥さんもそうだし、まるで現実ではなく過去の記憶から再来しているかのようにも思える。怒ってすぐ帰ってしまった元彼女だって、怪しいと言えば怪しい。

春画は、男女が叢にしゃがみこんで抱き合っている様子が描かれている。尻を丸出しにした女が羞恥の表情でふりかえっている。女を支える男は、女の下半身が叢に触れるのを手で妨げているらしい。死んだ友人が、この男が俺だと言う。ヒョンは、この女が俺かもしれないと言う。

記憶にあること、昨日までの出来事、そうだと思っていたこと、何もかもが怪しい気もするが、とくにそうでもないとも言える。そもそも最初から不自然だ、あんなお茶屋が実際にあるかよ…とも思う。