休暇

ふだん有給休暇を取ることがあまり無いのは、事前に周辺調整するのが億劫だからで、しかし最低限取得すべき日数は決まっているので、だから今日みたいに何の脈絡もなく目的もなく、とつぜんぽっかりと平日に休みを取ることもある。そうするとまるで、いきなり放り出されたみたいに自宅でひとり、最初から途方に暮れたような一日のはじまりを迎えることになったりもする。

自分の場合、休日を一人で過ごすことは稀で、あるとすればこんなふうに突然取得した有給消化日くらいのものだが、予定は何もなくて、家にいるも外出するも自由で、だたこういう日は年に一度か二度くらいはある。ああこの感じは一年ぶりだなあと、思うところはある。

予定はあるにはあった。iPhoneの修理予約を入れていたのだった。ガラス割れの修理。およそ休日に入れ込む予定の種別において、もっともしょうもない部類のやつだが、それでも予定は予定であるから、やや早めの時間ながら、いそいそと出掛ける。外はすばらしい晴天で、空気は十月下旬らしい爽やかな冷却度、しかし日差しを直接浴びているとやや汗ばむほど。

修理品をあずけてる間、近くの店のテラス席に座ってここぞとばかりにビールを飲む。たしか前の休みも、似たようなことをしてた。そのくらいしか、やることがないのだ。それさえすれば、休みが、きちんと休みになるというのか。

自分のいつもの生活が、如何に習慣というものに支えられているのか、こんな時間を過ごしているだけで、まざまざと痛感される。平日はもとより、土日祝日ですら、ある種の習慣にしたがって「休んでいる」のだと実感する。習慣のはたらかないひとときにおいては、自分はほとんど呆然とするばかりだ。はじまりもなくおわりもなく、海を漂流しているようなものだ。いや、もちろん今日の終わりが休みの終わりだ、それはわかっている。わかっているからこそ、これほど呆然とした方向も秩序もないひとときを、そのままにしているのだ。あらかじめ、という視点をあえて採用しない、休んでいるというよりも、じっと見ているだけ、やり過ごしているといった方が近い。

修理が完了したiPhoneの、傷一つない黒々としたガラスの表面に、空と街路樹が写り込んでいる。神保町方面で少し古本などを物色して、帰路に着くころにはすでに通勤帰宅の混み合いがはじまりかけた時間だ。あっという間の一日、無為な一日、だいたい思ってた通り、よくできた一日。