つくば

つくばに来たのは三年ぶりらしいが、前回はそんなに前のことだっただろうか。松見公園も筑波大学のキャンパスもぜんぜん変わってない印象だった。大学構内を歩いていると、こんなすばらしい環境で大学生としての一時期を過ごすということの途方もない贅沢感を、まるで遠い国の裕福な貴族の優雅な生活みたいなものとして、遠くにぼんやりうつくしく光ってる、自分には決して手の届かない世界であるかのように思い浮かべてしまう。コンビニもスーパーも数えるほどしかなくて、生活必需品ひとつ入手するにもおそらく徒歩でお店に行くのはほぼ無理な、広くて暗くて寂しい山の中の、都会的な華やぎや文化施設や繁華街とはまるで無縁の、都心までの電車賃だけで往復二千円以上は掛かる、そんな場所で何年も生活することは必ずしも快適じゃないというか、どこが貴族の優雅さだ、それどころか現代の一般的都会的な生活をきれいさっぱりあきらめる覚悟がなければどうしようもない、歩いて一分でコンビニがある生活の人間が、そのままの感覚でまともに生活できるはずがない場所じゃないかと、そうとも言えるだろうけど、それでも、いやだからこそ、その時間こそがこの上なく贅沢なもののように想像されてしまう。それは単なるよそ者の身勝手な物言いに過ぎないのかもしれないけど、少なくともこれだけ豊富な自然の元で、外界から孤絶、遮断されて、ただ季節の変わるのを感じながら家と大学を往復する毎日というのは、やはりある種の特権的体験ではないかと思う。

僕らが筑波大学を散歩するのは決まって土日だから、学生たちの体育館やテニスコートで運動してる様子がたくさん目につく。筑波の学生はひたすらスポーツしてるだけの人たちなんではないかと思ってしまうほどだ。今日もテニスコートには自転車がいっぱい止まっていて、コート内には各人の荷物がばらばらと置いてある。しかしなぜかコートは無人、あるいは一人か二人しか目につかない様子だった。ちょうど昼食時間だったからだろうか。いるはずの場所に人がまったくいない、不思議な景色を見た気がした。

イチョウの木は木によっては紅葉がピークだが、まだこれからの個体も多い。メタセコイアは空を突くかのような枝を先端まで素晴らしい褐色に染め上がっていた。筑波実験植物園入口にあるいつものモミジバフウもすでに充分に紅葉していた。モミジも今日見ることの出来た様子が今年もっともよい状態だっただろう。

筑波実験植物園はとにかく広いというイメージがあるけど、実際歩いてみると意外なほどこじんまりしているというか、わりとすぐに一周できてしまう程度の敷地らしい。きちんとすみずみまで見て歩くなら、おそらく文京区の小石川植物園の方が園内の滞在時間は長くなるくらいだと思う。