まだ実家に住んでいた頃、物心つく前から二十年以上住んでいる地域、家から駅までの道のり、その風景の変わったところと変わらないところ。もう二十代も後半に差し掛かったというのに、景色はほとんど変わってない気がした。変わったところよりも、変わってないところのほうが目についた。これほど変わらないものか、と思った。周囲の変わらなさ、景色のあいかわらずさは、そのまま自分自身の変わらなさをあらわしているかのようだった。二十代後半という年齢にいたった、生まれてからここまでの時間を、何も変わらぬまま過ごしてしまったことの失望感が、そのまま、目のまえの風景に浸み込んでいるようだった。こんなはずではなかった、何が不服なのかを、簡単には言いあらわせないのだが、わかりやすく言えば、もっと自由になれるはずだと見込んでいたのだが、現実はそのようなものではなかった。
家から隣駅の図書館までの、徒歩で一時間ほどかけて、ゆっくりと川沿いの道を歩いた。途中、ふと気が向いて、少し迂回して十五年前まで住んでいたアパートの前を寄り道した。駅から反対の方角にあたるそのアパートまでの道のりと周囲の景色は、変わったところもあるし、変わってないところもあった。でもやはり、おおむね変わってはいなかった。十五年って、こんなものかと思った。そのとき、二十代だった頃の自分を、不意に思い出した。
あのとき感じた変わらなさと、今ここで感じている変わらなさが、やはり同じなのだった。しかし二十代のときみたいな失望感を、いまの自分が感じることはない。ただただ、ひたすら年月だけが流れることの不思議さだけだ。川の流れを見ているときにふと感じる、これはなぜ、いったい何の力で、こうしていつまでも変わらずに流れているのだろうという、理由のない不安に似たものを感じるだけだ。