書き続けていれば、いつかは膨大な量になる、それは薄々わかってはいた。ならばあらかじめカテゴリーやジャンルに分けて、後から確認・参照しやすいように設計しておくべきではないかと、考えなかったわけでもないのだが、結局は検索窓がひとつあるだけ、それで良いだろうと結論付けて書き始めた。
検索窓がひとつあるだけのインターフェイスと言えばグーグルのトップページで、グーグルは登場から二十五周年らしいが、そのくらいの時期に、はじめてグーグルのトップページを見たとき、そのシンプルさに軽く驚いたものだ。たしか検索の結果順位を決めるアルゴリズムにおいて従来のサーチエンジンとは一線を画しており、グーグルの登場で当時ヤフーをはじめとする各企業独自のポータルサイトおよびサーチエンジンは、インターネットにアプローチする最初の画面(ホームページ)としての役目を実質ほぼ終えてしまったのだった。
グーグルのアルゴリズムに最適化することこそが、インターネット時代に生き抜くためのスキルと見なされてから早十数年、SNS全盛の今でもそれはたしかにそうなのだろうが、ひとまずそのことはどうでも良くて、インターネットに関係なく、人がひとりで書き続けていれば、いつかは膨大な量になる。いやがおうにも、そうなる。
これらを読み返すのは意外にむずかしい。電子文書でありながら、適切にインデックスを貼ることのないまま蓄積された膨大な文字列。検索窓を使ってキーワードをテーマに結果を追うことはできるが、それですべてかどうかは、本人にもわからない。そもそも何がすべてなのか、その定義からしてわからない。今さらはじめから順々に読み返すこともできない。だからもう二度と読み返されない、見いだされることのない箇所だって、きっと大いにあるだろう。でも記憶ってそういうものじゃないだろうか。だから、これはこれで良かったのかもしれない。