College Tour

アルバート・アイラ―「Spiritual Unity」が名高いアバンギャルド系ジャズのレーベルESPのラインナップが初CD化されたのは、僕の記憶にある限り1992年とかそのあたりだった。当時学生だった僕は、それではじめてESPというレーベルを知って、はじめてマリオン・ブラウンやサニー・マレイやジュゼッピ・ローガンやポール・ブレイやパティ・ウォーターズを知った。そのどれもを好きになったわけではもちろんなくて、ほとんどは一度か二度聴いただけに終わったけど、しかしマリオン・ブラウンと、ポール・ブレイについては、くりかえし聴いた。ふたりともいわば、当時の前衛とかフリーとかの精神性とかとはあまり関係ない、時代や空気と関係なく自分のやりたいことをやってるだけな感じの、非常に個人的な感じのする音楽だった。しかも適度に抒情的で、フリージャズを聴くときに特有な肩肘張ったしんどさが無かったのも良かった。

パティ・ウォーターズについては、買って一度聴いて、それからすでに30年も経つけど、いまだに二度目を聴けない。聴いてみようという気にすらならない。フリー系の女性ボーカルを聴く体験の、これが僕にとってはじめて(であり、ある意味最後)だったのだけど、CDの再生が終わったと同時に、この音源は自分にとって唯一無二となった。すなわちもう二度と聴くことのできない、聴くべきではない、完全に封印されるべきもの、忌まわしき、呪いに満ちた、厄災を招く、お祓いで清めるべき、そんな忌まわしさの印象をもって深くトラウマとなって記憶域に傷を付け、出来る限りの修復をした上で、早くこれを聴いたこと自体を忘れてしまわなければいけない、それをなかったことにしなければいけない、そんなレコードとなった。アルバムジャケットを見るだけでも虫唾が走った。そのCDが家にあるというだけで不穏なものを感じた。

たかだか、アルバム最後の曲だけの話だ。しかし、あれをもう一度聴けと言われたとしたら、いまだにそれは無理だ。なぜなのかは自分にもわからない。とにかく女性の声で、ぎゃーーー!!と叫ばれると、僕はなぜか耐えられないのだ。ほんとうに心底、自分の基盤自体が瓦解するかのような強い恐怖を感じて、いてもたってもいられなくなるのだ。だから、聴けない。

(ぎゃー!!っとなる系の、半裸で血糊とか使う狂った系の女性パフォーマーとかが本気で苦手で、そういう恰好の人にふいに襲われたら、本気で失神できると思う。でもそれも大昔の記憶で、今ならまた違うのかもしれないけど…)

※パティ・ウォーターズがそういうミュージシャンだと言いたいわけではなく、自分が自分勝手に、そう思い込んでる…という意味です。