ドゥニ・ヴィルヌーヴ「ブレードランナー2049」(2017年)を観る。ひじょうに見ごたえあって面白かった。とはいえ話自体は特筆するほどでもない。過去にレプリカントが妊娠・帝王切開による出産した事実が明かされ、その実の子かもしれない主人公が父親かもしれない相手に会いに行く、いわば人間問題と実の子問題とが重ね合わされている。
主人公はウォレス社製の最新版のレプリカントで、一人暮らしで、やはりウォレス社製のホログラフィーみたいな技術で投影された女性をパートナーに暮らしている。彼女はデバイス装置のON/OFFによってあらわれたり消えたりする。無電源やデバイス無しでは存在できない。アイデアは普通だが、映像的な工夫が随所にあって、その存在感(半存在感)が描かれた世界にぴったりとハマってる。
主人公は食事し酒も飲む。孤独や寂しさも感じるだろう。彼に芽生えた希望は、もしかすると自分の記憶が「本物」かもしれないということ、もしかすると自分が「出産」で誕生したのかもしれないということにある。昔から手元にあった木製の馬の玩具が、解き明かされていく謎の道しるべになるかのようだ。(この小道具の「木の触感」が、印象に残るのだ。)しかし彼の期待は最終的にかなわない。彼の住む世界はこれからもこの調子でいつまでも続くだろう。
冒頭、まるで埼玉県みたいな田畑地帯となったロサンゼルスの風景から始まり、主人公の住居、繁華街の広告やネオン、水波の影がたえず揺れ動いているウォレス社の社内、本シリーズにおなじみの空飛ぶ自動車、ごみ集積場、カジノ跡に明滅するショータイムの幻影…など、かすかにメランコリックながらきわめて魅力的なSF的風景が次々と展開される。ひたすら沈鬱で、重々しくて、冗長な速度を維持しつつ、映画がゆっくりと展開していく。ほぼアート系映画的な時間推移を思わせ、画を観る満足感だけでもかなりすごい。よくぞここまで鈍重な雰囲気に徹底させたものだと思う。