僕の実家は、とある国道沿いの田舎ですが、僕が中学の頃なのでおそらく1985年前後に、駅前に貸レコード屋というものができて、そのことで当時はものすごく感動した。店内にLPが大量に並んでいて、どれでも300円とかで借りて良い、っていう話なのだから、これは驚きであった。たぶんはじめて借りたのはbeach boysのベスト盤である。これは異常に聴き込んだ。当時の自分にとってロックンロールとはbeach boysの事であった。というか「Fun Fun Fun」の事であった。
その店には、フィフティーズファッションを過剰にグラムチックにしたような感じの、ものすごいフリフリの服装で、やたらとデカイサングラスをして、栗色に染めた長い髪を丁寧に一本の三つ編みお下げにして、リボンやら何やらがいっぱいついてる感じの後ろ姿で、年齢はおそらく50代半ばか下手すると60を超えてるかもしれないくらいと思われる女性が、一人で店番をしていた。そのおばさんは、なかなか良い雰囲気の人で、服装の印象とは違って、物腰や話し方は大変上品なおばさん、という感じで、前述のLPを借りたときも「あら素敵ねえ、これいいわよねえ」とかニコニコしながら会計してくれた。その後も僕はその店で様々なLPを借りたが、おばさんはそのたびごとに僕に話しかけてくれ(おぼろげな記憶だが出たばかりのPretty in Pinkのサントラを薦めてくれたり…すごいね)、僕はうへへ、と照れたように笑って、逃げるように店を出て自転車を全力でこぎ、家まで戻った。興味あるレコードの事を「大人」から一言でも二言でも、これいいわよ、とか言ってもらえると、慎ましく程好いお墨付きをもらったように感じられたのであった。
当時はまだおそらく、貸レコード業という業種自体が新しくて、このまま商売になるのかならないのか、世間に今後浸透するのかしないのか、そのあたりがまだ微妙な雰囲気も漂っていたし、何よりも法律的にまだグレーなんじゃないか?的な匂いすら残っていたのかもしれない。その店も、空いたテナントにとりあえず棚とかレジとかを並べて、壁にべたべたポスターを貼っただけの、店舗というよりは安普請の特設催事場みたいな雰囲気さえあり、とりあえずやってみて商売として駄目ならすぐに撤収しよう、みたいな感じも今思い返せばあったように思う。しかしその店番のおばさんの佇まいの雰囲気だけは、ある独自な個人の歴史を感じさせるような、その過程が巡り巡って、たまたま、この新規な商売の店番にたどり着いている、というような感触を感じさせるものであり、かつ、おばさん自身も今の状況で、特に不満もなく、まあそれなりに満足しているようにさえ感じられて、まあそれは僕の勝手な思いこみなのだろうが、とにかくそのようにぼんやり感じていた。
などという事を思い出しつつ考えながら書きつつ、ふと思いついてwikipediaで調べてみたら、「Tsutaya」の現会長の増田宗昭が昔、脱サラして最初にTsutayaの前身である店舗を開業したのが1982年。当時は枚方駅前百貨店5Fにある喫茶店兼レンタルレコード店だったのだそうだ。僕が埼玉ではじめてレコードを借りているのがおそらく84年頃だから、その頃にはもうTsutayaとしては、たぶん事業拡大のアクセルを本気で踏み始めたあたりかも知れない。
田舎の駅前の貸レコ屋のおばさんも、今のTsutayaの会長も、もう過ぎ去ってしまったある時間のある一瞬だけは、同じように、上手く行くか行かないかわからないような落ち着きどころのないような気持ちのままに、それでもその時々をひとつひとつ感じながら、若干不安を含む新しい商売の店番をしつつ、その当時の日々を送っていたのかもしれない。
ちなみに、その店は意外と長く営業を続けて、時代の変遷にも合わせつつ、その後10年以上は営業していたのではなかったか?でも、あのおばさんは数年で姿を見かけなくなったようにも思うが。