小五DJ

小学五年生のときだったと思うが、僕は放送委員会だったので、一日のうち何度か、放送室のブースに座って、全校に向けて、たとえば以下のようなアナウンスをマイクに向けて話した。

「これから、お昼の放送を始めます。まずはじめに、レコードをかけます。」

何をかけたのかは、忘れた。おそらく放送室の棚にある、ライブラリー内からたいして面白くもない盤を適当に選んだのだと思う。

まだ声変わり前の十一歳男子の、抑揚豊かでよく通る声質が、中高域にきれいな波形をつくりながら増幅され、それが済むと直ちにマイクを下げて、すばやく針を落としたレコード側のフェーダーを上げる手つきは、すでに熟練を感じさせるものであっただろう。それが今想像する当時の自分だ。

午後を過ぎて校舎に人影が少なくなった頃、僕は再び放送室に入り、以下をアナウンスする。

「あと少しで、下校の時間になります。忘れ物のないように気を付けて帰りましょう。」

そしてそのあと、別のレコードに針を落とす。レコードはサイモン&ガーファンクル「明日に架ける橋」だ。下校時の曲は、これに決められていた。にもかかわらず、この曲をかけると、それはいつも僕がいまの気分によって自ら選択した曲であるかのように感じられるのだった。

その仕事を終え、夕方に近づこうとする空を背景にして、閑散とした校舎や人のまばらな校庭に「明日に架ける橋」の旋律が重なるとき、放送室にいる小五男子は、ほとんど生まれてはじめての、感傷と呼ばれるような感情を、身の内におぼえたのかもしれない。その、根拠も実態も向かう先もない、唐突きわまりない感情的な高まりは、ほとんど幼い性欲と見分けの付かないようなものだったかもしれないが。

自分がかつてDJだった時代、それは後にも先にもあの時だけだ。