しかし、それににしても、2023という数字をあらためて見ていると、ふっと気が遠くなる感じがある。
僕が生まれた年を数字であらわすならば、1971であり、それがいま、2023に変わったというのは、やはりすごいことなのだな、と思う。
そのことの驚きを、なぜ今まで知覚しなかったのか、なぜ、今なのだろうと思う。
たとえばかつて、1971が1991になったときに、それを驚かなかったのだろうか。2001になったとき、さらに2011になったときには、どうだっただろうか。
でも、そうやって等質で割り切れるような時間ではなかったのだよね…とも思うのだ。それはそれで、何度も思えることだ。
数字は数字でしかなくて、しかしその数字は、必ずしも過去の時間を指し示せるわけではない。同質なものとして取り扱えるわけではない。
割り切ることのできない、ひとつの流れのなかにあって、過去や現在を、今このとき想起しているということなのだ。
しかし数字が増えれば増えるほど、2023とか、もっと大きな数字になればなるほど、想起されるこの私の過去や現在のすべては、映画のようなものに近づいてくるな、と思う。最後はほとんど、今見ているそれが、現実なんだか映画なんだか、わけがわからなくなることになるのではないかと思う。