代官山


嫌な予感は最初からあった。前日の時点で気が重かった。


川崎はほかの誰よりもすごい。今一番僕が信頼しているヤツだ。


今までは、同じこと十回繰り返すときに、それが同じだけど同じじゃないんだ、という結論に着地させるのがならわしみたいになっていたのだ。十回繰り返すと、一回目と、三回目と、九回目や十回目は、何か違ってくるのだ。というか、ひとつひとつは違ってないはずなのに、それが一回目から十回目まで並べられて順番を付与された時点で、それらひとつひとつがちゃんと一回目や三回目や、九回目や十回目の表情をまとうのだ。これはみんなわかっている事で、だからこそ皆、同じことを十回繰り返すのだ。同じ事を十回繰り返したって、同じものが十回できるだけのはず。理屈ではそうだ。でも現実問題として、結果的に十個並べたときに、それらはちゃんとそれぞれのもっともらしいたたずまいで、それぞれ関係しながら異なる表情をもって並ぶのだ。そうである以上、今までと同じやり方を続けるよりほかなかった。僕たちではそれが限界だったのだ。


ところが川崎はそんな僕たちの固定観念を見事に鮮やかに打ち破った。かれは 何をしたか。彼はサンプラーを持ち込んだのだ。それで、一回目だけを用意した後、それを十回リピートさせたのだ。まさに文字通り、同じこと十回繰り返す、というやつだ。これ以上の「同じこと」は考えられなかった。だって単にリピートしてるだけなんだから。


深夜、誰もいなくなったオフィスで僕は一人、川崎の仕事を自分の環境に落として何度も繰り返して見た。そこでじっくりと確認しながら思ったことは、同じことが繰り返されているということは同じことと同じことの「繋ぎ目」がわかる事なのだということだった。


受け入れるために、ある一定の時間が要求されるなら、その時間内で覚悟を決めて僕たちは感覚をひらく。ところが、受け入れた同じことと同じことの「繋ぎ目」に気付いた時点で、僕たちは何か根本的に裏切られたような、まるで詐欺に会ったような気分になる。結局、始まってから「繋ぎ目」に気付くまでの事でしかないんじゃないか。その手つき自体を問題にしてるだけなんじゃないか。その後でこれを受け入れるか受け入れないかは、良くも悪くももう、この私自身の判断に拠ってしまうじゃないか。そんなことでいいのか。


川崎のやり方は、その手口が最初から完全に見え見えなのだ。あれでは誰もが、「繋ぎ目」に気付く。誰もが容易く気付いてしまう。なんだ、同じことが何度も何度も貼り付けられて繰り返されているだけじゃないかと、皆が思ってしまうだろう。…しかし僕は、なおもずいぶん長いことモニタを見つめ続けていた。ここにはまだ、僕が気付けてない何かがある。そんな気がする。どうしても、そう思えてならなかった。


翌日になって、川崎ってどこにいるんだっけ?と、向かいに坐っている小野里に聞いたら、川崎さんはたぶん代官山に行くと言ってました。「あまり慌ててもね。ゆっくりでも間に合うと思うけどね。」そう言って出かけました。いつもの事だが、ほんとうに行きあたりばったりな行動だと思った。


だいたい昨日の夜の時点で、外出するなんて全然言ってなかったはず。気が変わったのだとしたら、昨日帰ってからの事だろう。なんでなんだか、全然わからないが、やっぱり行こうと思ったらしい。でもまあ、僕としてはどっちでも良かった。もうそれほど考える必要もないや。どっちにしろ週明けの状況次第だというのがその時点では強くあった。色々と面倒事がこんがらがっていて週明けが来るのは憂鬱だが、でも結局は時がすべてを解決してしまうのだと思った。いや解決するかどうかは自分しだいだけど、でも明けない夜はないとも言うし、この手の物事はいずれ白黒はっきりするに決まってるのだと思って、その思いが淡い期待感の小さなかたまりになって胸の内側にぼんやり浮かんでいた。


今日、川崎が現地で何をできるのか、何か意味のあるアクションを起こせるのかはわからない。もしかすると何か、あるかもしれない。でもまあ、予想というのは常に外れるものだ。いや予想というのは最初から外れるようになっているものだ。いやいや、予想というものは外れようが当たろうが、その未来とは合致しないのだ。だから、予想している今夜の事があって、それは事や物や人や空間などありとあらやるものの只中を、川崎が移動することは決してないという事なのだ。…いやいや、だから、決してないという言葉そのものの成立が困難なのだ。川崎は確かに今、ここに不在で、だという事はつまり代官山にいるに違いない。


ぼんやりと天井を見つめていて、ふと我に返って、前に屈みこんで靴の紐を結びなおし始めた。足全体がややきつめに締め上げられたのを感じながら、立ちあがって、中身の確認もせずすべてのデータを保存して、PCをシャットダウンした。「ちょっと代官山に行ってくるわ」と、コートを着ながら小野里に告げた。小野里は「えー?行くんですか?今日どうすんですか?」と言ってこっちを見ている。「うん、川崎と合流するかも。」と言って、そう口にしたら急にからだがだるくなって気持ちの内側が湿ってきた。立ちあがったらまた別の時間が流れ始めてしまい、まるで三十秒前の地面を歩いている自分を今の自分が外野席から観戦しているみたいな感覚に陥った。


ものすごくいい天気。薄手のコート一枚でも汗ばむほどだった。中目黒行きの日比谷線がトンネルを抜けると、日の光がすさまじい勢いで一挙に社内になだれ込んできた。