六月下旬


今日はそんなに暑くない、むしろ涼しいと言ってる人もいたが、僕はなぜか今日は暑くて心身共にすごく疲れた。睡眠不足のせいもあったかもしれない。電車も混んでいたし、余計に疲れた。睡眠不足から来る判断力低下や想像力減衰や持続力低下を懸念している。


常に睡眠不足のまま自分を駆動させておくと、自分でも意識せぬままに、不本意なポテンシャルでずっと稼動し続ける事になってしまうように思う。できればそれは避けたい。たとえばもっと楽しい事や面白いことを思いつくためにも、睡眠は最低限必要なもののはずだ。いつもぼんやりとしたままで、自分がぼんやりとしている事にも気付けないような状態ではダメだ。なのでもっと寝る事にしなくては。


昨日の朝は、新宿で午前九時の回の映画に間に合うように平日と同じ時間に起きて出かけた。昨日は気温もすごく快適だったように思う。これも体調に起因するのかもしれないが。でもこれからじょじょに暑くなって、アスファルトの反射熱とかエアコンの室外機が放出する熱も酷くなり、今は瑞々しいアジサイも、あと半月もすれば熱射でぼろぼろに朽ち果ててしまうだろう。


昨日観た映画は「東京公園」。映画は良かった。ちょっと「シェイディー・グローヴ」のような、何か気恥ずかしいような感じ。あれがもっとまろやかに程よく奥行きをぐっと増して、さらさらと流れていく感じ。すごく古い映画っぽい感じ。代々木公園?新宿御苑?ような公園に降り注ぐ、秋から冬にかけての日差しやアパートの室内に入り込む光のきれいなこと。


三浦春馬の顔の輪郭と、二つの目と鼻と口。そのまるで空洞のような不思議さ。こういう映画の登場人物の、とくに男性の主人公の、映画全体の中心の部分にふいにぽっかりと空いた穴のような、何も溜まらない空洞のような感じ。


あと榮倉奈々の長い指の先の黒いマニキュアがすごく印象的。顔とおなじくらい、その手の感じが記憶に残る。映画全体がもっとあっさり流れようとするのを食い止めているような手。手の指の長さと爪の黒さと、人の肩をボン!と叩くときの音とか。少し酔って横たわっているときの横顔も真っ白な死体のようでこれも良かった。


榮倉奈々が喋って、三浦春馬が聴く。三浦春馬特有の、呼吸の間合いや相槌のテンポ、応答や反応の返し方。え?と聞き返して、そう…と肯いて、え?とまた問い返すその間合い。話しを進めているのは榮倉奈々で、それを受ける三浦春馬の向こうに次の展開が広がっていく。


小西真奈美の最後の、三浦春馬がたずねていく自室でのシーンで、一度髪を束ねて、もう一度髪をほどく。長い髪が肩から背中にかけてばさっと落ちる。女性の長い髪というものを僕は久々にみた。そして身体の厚みと重み、相手の物質的な気配をはっきりと感じさせるような抱擁。


なかなか良かった。しかしなぜ、こういう映画を作るのだろう?なぜこういう映画を作りたいと思うのだろうか?そこは何というか、しらばっくれて言ってる訳ではなくて、普通に、ちょっと不思議な感じにも思う。そういう不思議さも漂うというか、まあ、そこも含めて不思議に面白い感じだ。


映画の終わったあと、本屋、レコード屋と軽く見て、そのまま小田急線で成城学園前まで移動する。世田谷美術館分館 清川泰次記念ギャラリーへ行く。


清川泰次記念ギャラリーは末松正樹を目当てに行った。今月はしかし、末松正樹強化月間という感じで、末松正樹ばっかり観ていた。板橋美術館やら明大前のキッドアイラックギャラリーでまとまった量の作品を観ることができたのだ。最近出た本も二冊読んだ。今日の清川泰次記念ギャラリーはその締めくくりのようなものだ。でもなぜか今日は体調のせいかわからないけど清川泰次の作品が不思議と良くて、なぜかこころにぐいぐい来るようなものがあった。


もう本当に寝ないとだめ。しかし僕はもう、これからもしもっと蒸し暑くなってももっと頑張って耐えていって、今よりももっと元気に頑張ろうと思う。それが一番のことだと思うからだ。