カウンターバー専用車両


地下鉄の電車の一両目がカウンターバー専用車両みたいになってから、サラリーマンなどの通勤客で、そこで一杯飲みながら帰る人も多いようだが、どうもあのバーは、僕はあまり好きになれなくて普段は利用してない。なんというか、駅のトイレのような雰囲気があるというか、たしかにすごい利用率で、ものすごい回転稼働率で賑わっている活気に満ちた店だとは思うし、悪酔い客や子供も少ないので、まあ悪くはないのだが、でもやっぱり色々酷くて、公衆的な実も蓋もない感じに心がヤスリを当てられる感じというか、なんというか、所謂ふつうの衛生観念とか、そういう感覚が馬鹿馬鹿しくなるような感じというのか、ふつうの気分じゃ飲めないというか、いや、そこまでの言い方をすると、極度の不潔さをいいたいのかと思われそうだが、そういう訳でもなく、むしろあまり不潔さを感じないというか、公衆利用設備というのは本来こういうものだよなという納得感の方を強く感じると言っても過言ではないくらいなのだが、でもそれでトイレだったらまあ、何のかんの言いつつ、さっと用を足しに行くし、そういう自分も酔っ払ってる事がほとんどなので、それで何の問題もないのだが、どうにも通勤時の地下鉄の、カウンターバー専用車両というのは、さすがにどうにもこう、いやいくらなんでもトイレと同列にするのは酷いとは思うのだが、でもそれはちょっとなあ。とも思うのである。いや、たとえば朝方の駅のトイレの個室の方は、毎朝常に完全に満室である。その時間帯に催す人がいっぱいいるのだから、それは当たり前の事だ。でも、それと同じ原理で、夜の会社帰りのサラリーマンを乗せた電車で、一両目がカウンターバー専用車両だったら、そんなの客で満員になるに決まってるというか、いや満員でもかまわないんだけど、でもそれってなんか、酷く駅のトイレ状態で、どの個室も満室って、それも情けないじゃないか。と、上手く説明できず忸怩たる思いのままに、鬱屈しつつそう感じてしまうのである。…でも、今日は久々にその車両に行って飲みながら帰った。生ビールニ杯。思ったよりも混んでなかったから助かった。真暗な窓の外が轟音とともに流れすぎていくのをじっと見ながら飲んでいた。でもまずいね。もう二度と飲まない。って、いつもそう思うんだけど、でもきっといつかまた飲むんだろう。


そういえば、子供の頃、まだ十歳とか、いや、もっと小さい頃かも。父親と二人で新幹線で、名古屋に行く途中、一度だけ食堂車に行ったことがある。ハンバーグステーキを食べた。車内がどんな様子だったか、うまかったかどうかなんて、まったくおぼえてない。いや、かすかに憶えていることがある。隣の席に白人の中年男性が座っていて、顔やら手やらにものすごいたくさんそばかすのある人で、これはまだら模様みたいなものを、わざと絵の具かなんかで描いてるんじゃないか?と思って、酷く気味悪く思ったような記憶がある。でもあの頃はまだ、食堂車というものがあった時代だった。いつの間にか、そういうものがすっかり無くなって、僕も電車の中に食堂車があるみたいなイメージを完全に忘れたまま、30年くらい過ぎてしまったように思うが、でもこうして地下鉄がカウンターバーをやってるんだから、時代は巡るというか、不思議と昔っぽさを思い出すというか、なんとも面白いものだ。(この話はフィクションです。)