今日って満月だっけ?と聞かれたので、いや、知らないけどでもそうなんじゃない?と言ってカーテンを開けて外を見たら昨日見た方角には暗闇だけしかなくて、一つだけ一等星が光っているが、あれは何の星だろう。昔なら知ってたかもしれないけどわからない。朝は晴れてて雲が秋っぽかったけど、今は曇っているからと思って、月たぶん出てないねぇと言ったら、えー?出てるでしょと言うので、出てないじゃん、と言ったら、もっと上でしょ、と言うので、窓を開けてベランダに出てさらに上を見上げたら、もっと違うところに月がいた。電球のように光っていて周囲まで明るくて、目で直接見ていると眩しいほどだ。あー、いたいた。月だね、光っとる。これ満月なの?と聞いたら、知らない、たぶん、と言うので、蚊が入ってくるかもしれないのでもう窓を閉めた。
一等星でかっこいい名前を挙げるとすれば、おうし座のアルデバランはもとより、オリオン座のベテルギウス、こと座のヴェガ、ぎょしゃ座のカペラ、さそり座のアンタレス、はくちょう座のデネブ、あたりだろうか。こいぬ座のプロキオン、おとめ座のスピカ、わし座のアルタイル、あたりは実際に見た記憶があまりないのだ。今思うと、やっぱり家の実家の方はそれなりに星が見えてたということだ。僕は小学五年生のとき、それなりに星座好きな子供だったので、当時は毎晩、煙草ケースと簡単なオードブルの詰め合わせパックと白ワインかウィスキーの入った携帯ボトルを鞄に入れて、折りたたみ式ディレクターズチェアにどっかりと腰を下ろして、星座早見盤を片手に、ぷかぷかと紫煙をくゆらせつつ、何時間もぼんやりと夜空を見上げていたものである。ウィスキーの酔いが心地よく夜風に吹かれながら思わずうたた寝してしまう事もしょっちゅうだった。でもそんなときに限って必ず、近所に住んでるT君が途中でやってきて僕を起こすのだ。よお、こんばんわ。寝てんの?と挨拶したきり、僕の傍らに腰を下ろして、後はふたりで何を話すでもなく、ただぼんやりと空を見たり景色の向こうの国道を流れる車のヘッドライトを眺めたり、真夜中の浮かれた気分をアクセルに込めた激しいエンジン音のスポーツカーが走り去っていく甲高い音や、長距離トラックの走り去る低い騒音が地面を伝わって響いてくるのを黙って聞きながら、ただひたすら空を見ていた。
その後、たしかT君は望遠鏡を買ったのだったか。月のクレーターを見られるというので、僕ものぞかせてもらったと思う。クレーターを見たのか見なかったのか、ちょっと思い出せないが、なんだかずいぶん大掛かりになってしまったなあと思った記憶がある。単に酒で口を湿らせつつ煙草の煙をふーっと吹き上げながら夜空を見ている方が、僕は好きだった。で、冬になったらまた再び、一人で夜空を見上げていた。星座早見盤と懐中電灯だけしか持たずに、立って夜を見上げていた。冬の外は寒く、三十分も立っていると身体が芯まで凍りつくほどの寒さである。しかし冬の星座は、比較を絶してうつくしかったのだ。クリスマスの夜と呼ばれる、その季節にあらわれる一等星のほとんどすべてが一望できるもっとも華麗な夜空を見るためだけに、僕は来る日も来る日も、凍て付く冬の夜の中を立ち尽くして待っていた。まあほとんど嘘だが。
今はもう星なんてまったく見てないし、ほぼ完全に忘れた。足立区の今住んでるところじゃあ、晴れた空だったとしても星座なんかろくに見えない。冬でも全然駄目である。