駅前で、大きなマンションの建設工事が進んでいる周囲に、工事用の鉄壁が張り巡らされているのだが、その壁に「六十年後の駅前」というテーマで、地元の小学生たちの描いた絵が上下左右に並んで印刷されている。
小学生の絵だな…といった感じなのだけど、主に駅前の様子を描いたそれらの絵を一つ一つよく見ていると、思いのほかたくさんの文字が書き付けられている絵が多い。それらを一々見ているのが楽しくて、ずいぶん長いこと壁の前に立ち止まっていた。
文字とは、たとえばコンビニの店名が書いてあり、ゲームセンターの看板があり、さらに衣類店の看板があり、パン屋の店名がある。これらのお店情報のうち、今の駅前に実在するものとしないものがあって、それが、描いた本人のこうであってほしいという願望なのか、昔はこうだったという追想なのか、あるいはどちらでもなくて、何となく並べただけなのか、そこがわからず、そこが面白い。
六十年先の未来だから、駅前が未来風に改変され、はるか高さにまでそびえたつビルがあって、そのビルの看板にも見慣れた名前の店名がある。あるいは現存のショッピングモールの名前が掲げてある。極端な飛躍を抑えて、どこかに必ず現在とのつながりが守られている。
まず現状が基盤となっていて、与えられたテーマを係数として適度に可変する。そんな操作の結果がこれらの絵である。お店や建物をあらわす文字情報の列挙は、それが絵と言うより、提案の一つであることが示されているのだと思う。景色のなかに、人物の影が極端に少ない、行き交ってるはずの車やバスの様子のあまり目立たないことも、それを証拠付けている感じがする。絵を描く人というよりも、現実に則して手堅く責任感をもったプランナーの仕事なのだなと思う。未来においても、駅前は変わらず駅前であってほしい、最低限の秩序は守られるべき、という気持ちのあらわれのようにも思う。