公園に行く事自体、昔では考えられないようなことだったと橋東は言う。だって、公園でいったい、何をするのか?何の目的もなく、何か見るべきものがあるわけでもない、ただの公園に行って、なにもせず、ただ時間をすごす。そこにいったい、何の意味があるのか?とにかく何もせずに、ぼおっとするというような事は、少なくとも橋東の性格からいって、絶対にありえなかった。
その橋東がある時期だけは、ほぼ毎日公園にいたのだから面白い。それは結局、中富に住んでいた女と付き合うようになってからだ。たしか半年くらいは付き合っていて、その半年の間、公園で、芝生の上に寝転んで過ごしたのだそうだ。ピクニックシートを持参して、事前にわざわざコンビニでジュースとかビールとか、菓子とか食い物を買って、白いビニール袋を指にぶら下げて、ふたりで公園で。女と二人並んで、芝生の上を歩いて、どのへんにピクニックシートを敷くかを、あたりを見回しながら探していたのだ。これはもう、橋東を知ってる人なら、全員が笑うところだろう。橋東も最初、俺もついに狂ったかと思ったそうだ。まったく意味がわからない。なにがしたいのかさっぱりつかめないと思って苦しみにもだえたそうだ。
僕はその、橋東の当時の彼女、中富の女と一度だけ会った事がある。橋東に何か借りてたのか貸してたのかしたものを返す約束で、公園の入り口で待ち合わせたとき、後から橋東が来て、一緒にその女も来たのだ。そのときはじめて女に挨拶した。橋東はその日も「公園デート」だと言ってた。しかし僕から見てその二人は、公園で仲良く寝そべる仲の良さそうなカップル、という感じでは全然なかった。橋東にしてみれば、まだ当時戸惑いながらの公園デートだったのかもしれないが、僕から見て端等とその女は、何と言うか、むしろ何か、この公園内を、明確な目的を持って行動しているかのような、どうも単に、公園で時間を過ごすカップルとは別種の、怪しい男女二人組にも思えたのだ。
先々月に会社をやめたばかりで、今暇人なんですと、その女は言っていた。橋東よりもいくつか年上との事だった。髪の多い人だった。黒くて長い髪が、ぼわーっと多く、肩の下まで伸びていた。そして化粧も白い粉をばたばたと顔にはたいたような、かなり大雑把でいい加減な感じを醸し出していた。
会社に入ると誰でも、それなりに見た目も良くなるもので、良くなるというのは、人並みの外見になるということだが、女性というのは、とくにそういうものだろう。もちろん外見の美醜というか、見た目の差はあるのだが、とりあえずそういう個体差ではない話として、学生のときは皆、化粧も服装も髪型もある程度自由で、それでその人らしさが、もうそれぞれ、すでにあるのだが、でも野暮ッたかったり、ところどころで無理があったり、あるいは子供っぽい遊びの、板に付いてない感じで、その頃だとどうしても、そういう学生の顔とか外見でしかないのが、社会に出て二年か三年経つと、ちょっと「しゅっ」っとした感じになるものだと思う。余計なものが落ちてすっきりした雰囲気になるというか、人の中に、裏と表が出来てきて、陰影が濃く出て、陰湿さや卑屈さなどもうちがわに隠しつつ、とりあえず顔を取り繕って毎日やっている、日々のウンザリした感じとか、今後の自分に対するだるい失望感や諦めの感じみたいなものも出てきて、たぶんそういうのが「大人っぽくなる」ということなんだろうと思うのだが、橋東の女がどうだったかと言うと、それはかつて「大人っぽくなる」にはなったけど、とりあえず中途半端なところで、それもやめてしまったような感じがする女、という印象に思った。
ちょっと意味わからないかもしれないが、とにかく何と言うか、宙ぶらりんな女、という感じに思えた。きれいとかブスとか、そういう話ではない。っていうか、どっちかって言えば、まあまあきれいな方かもしれない。橋東は結構面食いなので、そのへんは妙に律儀なくらい、付き合うどの女もまあまあキレイ目なので、それはいいのだが、そういうことではない、妙な宙吊りの感じ。どこにいるのかよくわからない女。
たしかにかつて、一度は洗練されたのかもしれないが、結局ぜんぶ元に戻った。いや、元よりなお、無くした。細かいことを気にしない無神経さと自己憐憫に浸りたい気持ちさえ乾きかけて、さばさばとした水切れの良さのようなものだけを得た。というような、そんな感じ。…って、ちょっと想像でモノを言いすぎかもしれないが。でもまあ、よくわかんないけど、何しろ、変な感じの女だった。
後から聞いた話だが、橋東としてはその女との付き合い方を探るうちに、ほとんどずるずる公園以外の選択肢を奪われたような事態に陥ったい多々らしい。中富の女が、あまりにも「近場派」だったからだそうだ。要するに、とにかく自分の家の近くが好きなのだ。自宅圏内より1km四方くらいが行動範囲で、それ以上はどこにも行きたくない。車も乗ってもいいけど遠くはいや。電車は乗りたくない。東京都内に入りたくない。というようなタイプだったそうだ。それは、最近の所謂引きこもりタイプみたいな人なのか?というと、そういうわけでもなく、むしろ自分の家にいるのも嫌いで、なぜかというと家は実家で、兄と妹はどっちも結婚しててそれぞれ別住まいなのに、自分だけがまだ親と同居で、親がうるさくて家にいると何かと喧嘩になったり衝突が多くて、それで、できれば外にいたいという事だったらしい。
すぐ前まで、ちゃんと付き合ってた彼氏もいたらしいのだが、失恋して、その勢いで会社もやめてしまって、何年か働いてた分の貯金もあって、暇だし、たぶんだけど、だからそれで、たまたま出会った橋東と付き合ってるみたいな感じだったのだろう。
ということで、じゃあ埼玉で、家の近くで、じゃあ何するのか?と言うと、別に何かしたいことがあるわけじゃないし、毎回ホテルとか行くカネもないし、でも他にする事もないし、やりたい事も無いし、というわけで、会えば自動的に、かならず公園に行く事になってしまったらしい。
公園の芝生の上、ピクニックシートを敷いて、二人並んで寝そべっていると、橋東はまるで、いま自分が病気になって入院していて、病院のベッドで安静にしているところだと、錯覚しそうになったそうだ。ほんとうに、こうしていると、絶望的なまでに何もする事がなく、芝生が風にそよぐ音と空の雲が時速0.1kmで移動する音をを聞いているしかなかった。たぶん何をやっていようが、本当はこうなのだ。することなんて何もないのだ、このままこうして人生が終わるんだな、などと心から思い、隣の患者さんに、何か気休めの言葉でも、冗談の一つでも言ってあげたいのに、それにふさわしいような、話しかけるような言葉すら、見つけられなかったのだそうな。
そんな感じで、日中、ずっと芝生の上にいて、夜になって、家に帰ってきてから、芝がジーンズの裾の折り目にいつの間にかいっぱい入っていたのが部屋の床に落ちて、それがなんかすげーやだ、と困っていた。