俳優の吉田栄作は、今44歳だそうで、さっきテレビに出てたのを見ていて、こんな人がもし目の前にいたら、あまりにカッコよくて見惚れるしかないだろうね、と妻に言ったら、妻はむかしから今まで、吉田栄作をいいと思ったことが一度もないのだそうで、へー、そうなの?でも、どう見てもかっこいいでしょ?ふつうにみとれてしまうと思うけどなあ。もし今、目の前にいたら、やっぱりカッコいいと思うでしょ?と言っても、いやー別に、みたいな、浮かぬ顔をしている。まったく人の好みは、さまざまだなあと思う。


だいだい、年配の男性でモテる系の人の良さが、いまいちピンと来ないことが多い。よくわかってないのだ。この前テレビでついにはじめて「にっぽん縦断 こころ旅」の火野正平を見たけど、「うーーん??」という感じ。そうなのか、これがいいのか?と疑問符が沸き起こる。こういうのは、ほんとうに難しいものだ。


「酒場放浪記」の吉田類は、お洒落だけどほとんど老人といいうか、ふつうに酔っ払っている状態がたまにテレビに映っているのが、これはすごいと思うことがあるけど、カッコいいとかとはまた別な気がする。「孤独のグルメ」の松重豊は、まさに松重豊で、まああんな人間は現実には存在しないが、しかしやはりここで書きのこしておくべきは「美しき酒呑みたち」の新井浩文で、新井浩文は、ほんとうに暗くて、じつにすばらしいのだが、…なんの話かわからなくなってきた。


声がいい、というのは、まさに男性の魅力のひとつだろうとは思う。声のよさとは、男性特有のもので、女性で声がいいとか悪いとかは、あまり話題にならない。声はたしかに、すごく重要。僕も声のいい人は好き。好きというか、話していて無意識にいいと思っている。ちなみに僕の声はほんとうにダメだ。iPhoneの動画に自分の声が入っているのをたまたま聞くと、じつになさけない思いがする。声のいい人がうらやましい。


僕は男性の魅力を、たぶんかなり年齢の若い女子の感覚で感じているのかもしれない。つまりそれだけ、夢見がちな思いで、男性に幻想を見ている。でももしかしたら僕に限らず、同性が同性の魅力について考えるときは、必ず少し実年齢よりも若い視点で、やや夢見がちに、考えてしまうものなのではないか。そこには自分の楽しい記憶や願望が入り込むのかもしれない。これが、同性ではなくて異性の魅力、という話になると、途端に現実的でとてもじゃないけど無防備に願望を入れ込むなんてできない、とう気持ちになって、それで余計に。


まあ、でも実際、もう見た目はどうでもいいんだよなあ、という気持ちも強い。女性だろうが男性だろうが、だいたいのパターンは見てるわけだし、あまりもう見た目が楽しい気分にさせてくれるようなものでもなくなった。そして、若い人との年齢の差をつくづく感じる今日この頃。