一昨日、暇だったのでなんとなくウィキペディアで「ヒトラー」を読んでいた。ソ連軍にベルリンを包囲されたあたりまで来たとき、なぜか頭の中がボーっとなってきて、このまま、あと数日したら死ぬよりほかないと思って、するとなぜか、不思議な気分になってきて、これが本当に、自分の人生なのだろうか?と、いったいこれは、現実だろうか?まるで、夢を見ているようだぞ?と、そういう思いに、かなり長い時間とらわれていた。


本屋で「我が闘争」をぱらぱらと読んでみたが、あまり面白くない。あと「熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録」という本もなんとなく面白そうな感じなので、ぜひ読みたいのだが、ぱらぱらっと適当に読んでみたら、あー、面白くなさそう、という感じで、結局買わなかった。で、なぜかW.S.チャーチル第二次世界大戦」を買った。


元日の朝は快晴。寒さはさほどでもないので良かった。駅も電車の中も人はまばらで、各駅停車はゆっくりと走って、駅に止まるとドアが開いて、一人か二人が降りて、一人か二人くらい乗ってくる。陽の光がまぶしい。空気は乾燥していた。

 休戦の日、ドイツ軍は秩序整然と本国に向かって行進した。「彼等はよく戦った」と、連合軍総司令官フォッシュ元帥は額に栄誉を輝かせながら、軍人らしい口調で言った、「彼らに武器を持たせておけ」

 しかし元帥は、フランスの国境は今後ラインでなければならないと要求した。ドイツは武装を解除されるかもしれなかった。ドイツの軍隊組織はばらばらに解体された。ドイツの要塞は取り去られた。ドイツは窮乏に陥るかもしれなかった。しかしすべてこのようなことも、十年か二十年のうちには過去のものとなるであろう。「全ドイツ民族の」破壊しがたき力はふたたび湧きあがり、軍国プロセインの消しがたき火は、ふたたび炎となって燃えあがるであろう。しかしライン川は---川幅広く水深く、流れの早いライン川は---ひとたびフランス軍の押えるところとなって要塞化されるならば、フランスはその背後にあって幾世代にもわたって、安住できる防壁ともなり、盾ともなるであろう。

 英国国民一般の感情と見解は、これと全くちがったものであった。英国国民の援助がなければ、フランスは屈服していたにちがいなかったのだ。ヴェルサイユ条約の領土条項は、事実上ドイツをもとのままに残したのであった。ドイツは依然として、ヨーロッパにおける最大の同種民族ブロックとして残ったのである。ヴェルサイユ平和条約の調印の報を聞いたとき、フォッシュ元帥は驚くべき正確さをもって断言した、「これは平和ではない。これはただ二十年間の休戦だ」(第二次世界大戦 W.S.チャーチル)