それまで家には観葉植物の一つもなかったので、二年前にパキラの鉢植えを買って、それが今でも、まだ家に居て育っている。今、薄暗い部屋で、そのパキラの鉢植えを見ていて、枯れていく葉と、これから芽吹いて大きくなろうとしている葉を見ていて、それらの全体的な感じをぼんやりとみていて、そういうとき、植物はほんとうに、絵のように見えるものなのだが、なぜかというとそれは、下から上への力の動き。か細い枝が下から上へ伸びよう伸びようとして、右へ左へのびて、その先に葉が広がるので、ある一定の範囲内の中空に、思い思いに葉の広がりが浮かんだように点在するかたちになって、うわあ、これはまさに描いたみたいな構図だなと思うのだけれど、そもそも描くことの不思議さというか、描いたら、画面の上に描いたものは、なぜ下にずるずると落ちてこないのかという話は、もし植物が絵を観たらそう言うのではないか。絵の画面の上の方に何か描いたら、それは画面のその場所にちゃんと留まっているものだというのは、けっこうすごいことなのだというのが、現実の植物を観ているとよくわかるのだ。もちろんオユツが垂れたり物質の重さが垂れ下がったりするのは当然あるけど、それでも画面に這いつくばって喰いついている絵の具の物質性は、ほとんど不可解なほどの律儀さを観る者に感じさせるし、それがそのようにあらわされることの不思議さそのものが絵画の面白さなのよ、とかなんとか、中学校の新任の年の若い美術教師の女性に言われてしまったような感じの、この気持ち悪さ。何か落ち着かぬ、苛々した感じの。